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和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

「客観報道」と、「編集へのお手紙」。

2018-06-23 | 手紙
え~と。
どこから話しましょう(笑)。

文芸春秋の雑誌「諸君!」の最終号は
2009年6月号でした。その巻頭随筆である
「紳士と淑女」では、最後に「読者へ」として

「なお、三十年にわたって、
ご愛読いただいた。『紳士と淑女』の筆者は、
徳岡孝夫というものであった。」

こう締めくくっておられました。
現在。その徳岡孝夫氏は
雑誌「新潮45」の巻頭随筆「風が時間を」を
執筆しております。
その今月号2018年7月号では、
アメリカに渡って大学のゼミの講義をうけている内容の
ことがでてきております。時代は戦後十五年のことです。

はじまりは、

「私を最も手古摺らせたのはShort Story Writingのゼミだった。
つまり短編執筆である。ただ文学のゼミではないので小説ではなく、
ノンフィクションの書き下ろしである。・・・・
それだけではない。書いた原稿を売ってそれが掲載されれば
ゼミの点数になるという。・・・

ただ書くための手引きはあった。Writer’s Guideという本。
原稿を求めているアメリカ中の出版社の名、誌名、住所、
どんな原稿を求めているか、原稿料まで列挙され、
それが一冊の本になっている。・・・・

私は書いた。『日本』をネタに書きまくって送った。
だが私の原稿は一本も採用されなかった。
戦後十五年、日本はエキゾティシズムより
『昨日の敵』のイメージが濃かった。

しかし米国の新聞社、出版社が多数の取材記者を雇うことなく、
外部からの協力とその内容を調べるという身軽な行動で
成り立っていることは分かった。」

そして最後に、日本について
書かれておりました。ちょっと、読み過ごしたくなる
のに、重要な箇所だと思っております。


「当時の日本では新聞に意見や情景を書こうと思えば、
その新聞社に勤務する記者が原稿依頼に来るか、
または記者の手で書かれる以外に手がなかった。

進んで雑誌に寄稿しようと思ってもメディアは有名人に
すでに執筆依頼するか自分の記者に取材にいかせて、
いわゆる『客観報道』をしてしまっていた。

それに比べて米国の業界はずっと開けていた。」


この最後の
「いわゆる『客観報道』をしてしまっていた。
それに比べて米国の業界はずっと開けていた。」
とありました。
ここから、外山滋比古著「新聞大学」(扶桑社)
にある「投書欄」という文が思い浮かびました。

それを引用。

「外国の新聞は日本に比べると概して
読者の投書がすぐれている。
だいいち、投書、などと言わない。
編集への手紙(Letters to the Editor)
と呼ばれることが多い。
・・・素人ばなれした文章もある。
いずれにしても、レターである。エッセイなどと
気取らない。反対、攻撃の叫びではない。
やさしくあたたかい文章が見られる。
アメリカの新聞は、少し味わいが欠けるように
感じている日本人もいるようだが、
それは誤解である。アメリカの〈編集への手紙〉にも、
びっくりするような良い文章が見られるのである。

 ・・(ひとつ紹介されておりました省略)・・

日本の新聞の投書は、どうしたことか、
騒々しかったり、むやみに攻撃的だったり、
自己主張がむき出しであったりする。
書いている当人は得意かもしれないが、
読者には、おもしろくないものが多い。
もっと多くの人が大人の文章を書くように
ならなければいけない。・・・」(~p102)



はい。「編集への手紙」というのですね。
うん。手紙なんだね。
いいなあ。「エッセイなどと気取らない」(笑)。





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