和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

漱石と落語。

2010-05-04 | 短文紹介
水川隆夫著「漱石と落語」増補版 平凡社ライブラリーを買おうとしたのですが、残念品切れ。ということで、彩流社「漱石と落語」を古本で購入。今日読了。
水川氏のあとがきには、
「筆を進めるうちに、漱石と江戸文化の関係を考えるうえで欠かせない儒学や禅についての教養が不足していることを痛感し、とりあえず主題を江戸庶民芸能、特に落語との関係にしぼってまとめることにした。」とあります、
う~ん。読後は、このあとがきの謙遜が、何とももったいない飾り文となっているような気がするのでした。落語から見た漱石という視点が、堂々とゆるがずに一冊の本となっておりまして、読みながらうれしくなる手ごたえがありました。

ここでは、最後ばかりを引用しておきましょう。
現在では、司馬遼太郎にしても、小林秀雄にしても、講演の録音を聞くことが簡単にできるのですが、もし漱石の講演録音があればなあと、思いながら読んでおりました。
では、その箇所。

「大正3年11月25日、漱石は、学習院において、『私の個人主義』と題して講演したが、その冒頭で『目黒のさんま』の話をした。
    私が落語家(はなしか)から聴いた話の中にこんな諷刺的のがあります。・・・」

「漱石が講演にすぐれていたことは、講演筆記からもうかがえ、多くの証言もある。漱石は、十分考え抜いた内容を(彼は準備不足をよく弁解しているが)、用語をきちんと定義づけ、論理的に筋道を立てて話す。はじめに滑稽な挿話などで聴衆を笑わせて引きつけ、ところどころにユーモアをはさんで飽かせない工夫などをしながら、説きすすめていく。辰野隆は、明治41年2月15日に、漱石が青年会館で行った講演『創作家の態度』について、『僕の今まで聴聞した講演では、漱石先生のこの講演の右に出るものは一つもない。・・・』と激賞している。辰野のよると、この講演のはじめに、漱石は、『先頃、或る雑誌を読んだら、夏目漱石という男は風上に置けぬ奴だ、と書いてありました。風上に置けない!全で人を糞尿船(こえたごぶね)か何かと思ってるんです。』と言って聴衆を笑わせたそうである。漱石の講演に落語を思わせるものがあることも、多くの人が指摘している。小宮豊隆は漱石の話しっぷりに三代目小さんの面影を見ている。山本笑月を兄にもつ深川生まれの江戸っ子長谷川如是閑は、『初めて逢った漱石君』の中で、『君の此の特徴の余り顕著に現れた時に、私は何時も高座の上の落語家を思ひ出した。今の落語家は余り知らないが、一時代前の円朝から円喬に至る時代の落語家の優秀なるものの態度や口調が、往々夏目君の会話や講演に現はれてゐた。・・・・・』・・・」

「如是閑は、『初めて聞いた漱石の講演』でも、
『漱石は、ざわついた会場の空気に応じた、言葉とヂェスチュアーとで先づ聴衆の心理を捉へて置いて、徐ろに話をすすめて行ったが、私の最も驚いたのは、大劇場で世話物を演ずる俳優のやうに、通常の会話風の言葉を大声で語り得る技術だった。これは今日でもまだ新劇の連中などには充分出来てゐるといはれないほど修練を要するものだが、漱石はあの座談風の言葉を二千人もの聴衆で埋めている会場に行き亙るやうに発声することが出来るのである。これには全く驚かされた。』とほめている。この発声術も、もちろん落語から学びとったものにちがいない。」

「徳田秋声も、漱石の講演集『社会と自分』を評した「夏目漱石氏の『社会と自分』」の中で、漱石の演説の巧妙なことに感嘆したことを言い、『文章に於いてのみならず、――いな或いは文章以上に、氏は、その江戸っ児たる本色を舌の上に発揮してゐる。自分は、それを読みながら、生粋の落語家を連想せざるを得なかった。』と書いている。」



うん。これが本の最後の方だけを引用したのでした。
実際の本の内容は、丁寧でもっと充実してますよ(笑)。
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