和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

B29が泳いで。

2010-09-12 | 硫黄島
梯久美子著「昭和二十年夏、女たちの戦争」(角川書店)は五人の女性が登場しておりました。その最初は近藤富枝さんで、そのはじまりは、こうなっておりました。


「『B29がとんでいるところを見たのよ。私。きれいだった。夜勤の日、電車に乗って銀座に着いたら、空襲警報が鳴って、見上げたら、編隊組んで、ばーっと飛んできた。どうせ死ぬなら放送局のほうがいいと思って、NHKまで走ったの。玄関にたどり着いてもう一度見上げたら、またB29の編隊が頭上を通り過ぎていった。それがね、きれいなの。ほんとに。やっぱり美しいものは美しいわけよ、戦争でも』最初に話を聞きに行ったのは、作家の近藤富枝氏である。近藤氏は戦時中、NHKのアナウンサーだった。女性や子供が次々と地方へ疎開していく中、東京に残って仕事を続けた。『大本営発表』もずいぶん読んだという。
昭和天皇の良子(ながこ)皇后が、終戦直後に皇太子(現在の天皇)に書き送った手紙のなかに、『B29は残念ながらりっぱです』という一節がある。そのことを思い出して、『そういえば昭和の皇后さまも、B29のことを立派だと書いておられましたね』と言うと、近藤氏は、間髪をいれず『いえ、私はね』と首を横に振った。『立派だとは思わなかった。ただ美しかったの』
日本橋生まれの江戸っ子である近藤氏の語り口は、八十代の半ばを過ぎたいまも、すっきりと鮮やかである。『私は立派なんていうことには、あんまり興味がない。美しいか美しくないか、それだけ。あのとき見たB29は美しかった。とてもね』歯切れのいい早口で、話は続く。・・・・・」

たまたま、最近「筑摩書房の三十年」を読んでいたら、ここにもB29が登場しておりました。臼井吉見と唐木順三とが出てきます。

「臼井の枕元で、女の泣く声がした。焼失家屋23万戸、死傷者12万人、罹災者100万人あまりが出たB29百三十機の無差別大空襲が、そのとき、すでに始まっていたのだ。この爆撃で、江東地区は全滅した。いくら叫んでも、酔いしれた臼井と唐木が眼をさまさないので、女中が、ついに泣き出したのだった。ふたりは、あけはなされた雨戸の外へ出て、庭に立った。
サーチライトが交錯する空を、鮎のようにB29が泳いでいる。吠え狂ったように高射砲陣地から夜空をめがけて弾丸が撃ち込まれるのだが、届かない高さにB29が群がり、悠々と流れていた。下町は火の海。その照り返しで、銀色の敵機が赤く染まっていた。『敵機と知る一瞬先に、美しいと思った。ほんとうに美しかった。美しいと思ったことを、くやしく思う気持が次に来た。最後に、とうとう来たナと思った』と臼井は、実感をこめて書いている。
この空襲で、筑摩書房は焼けなかったが、強制疎開で取壊しになった。・・」(p80)


とりあえず。二人『ほんとうに美しかった』というのでした。こういうのを塗りつぶしてはいけないのでしょう。「女たちの戦争」のはじまりが、ここから書き起こされていることに、今気づいたりします
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