和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

追悼河合隼雄。

2007-07-23 | Weblog
7月19日午後2時27分。河合隼雄氏が脳梗塞のため亡くなられました。
臨床心理学の第一人者で、しかも文化庁長官として活躍されておりました。
およそ同時代に生きて、ふみ読む人で、この人の言葉に触れなかった方がいたでしょうか。
そんなことを思い描いていると、この同時代に、人それぞれの河合隼雄氏との出会いが用意されていたのではないかと、思えてくるのでした。
私が最初に河合隼雄氏の文に惹かれたのは、岩波書店の「図書」に掲載されていた「ユング研究所の思い出――分析家の資格試験を受ける話」でした。これは今は中公叢書・河合隼雄著「母性社会日本の病理」に入っております。

死亡記事が載った7月20日読売新聞の文化欄には、中沢新一氏が「河合隼雄氏を悼む」を書いております。こんな箇所があります。

「河合先生は、私にとって、かけがえのない恩人であった。十数年前に私が自身の軽率な言動によって、社会的に大変な苦境に立たされ、それまで友人と思っていた多くの人たちがまわりから去っていってしまったとき、河合先生が不意に電話をよこされて、余計なことはなにもおっしゃらずに、『いっしょに仏教について話をして、本をつくってみませんか』と、救いの手を差し伸べてくださったのである。そのとき私はなによりも、河合先生の豪胆さに打たれた。」

そして、よく諭されたという言葉を中沢新一氏は引用するのでした。

「なにごとにも慎重な方で、『君のように、なんでも正直に思うたことを口にしていたら、そのうち十字架にかけられてしまいまっせ。わしは本心なんか、そうそう簡単に口にしません。黙っといて、相手の本陣に入り込んで準備を進めて、ここぞと思うときまで、じっと待つんですわ。それまでは、人からどんなに誤解されたってかまわんのです。そういう人たちは、じつはものが見えとらんのですから』と、よく私を諭された。しかしその反面、いざというときには、たとえ世界中が反対しても、自らの信念を貫き通してみせる、信じられないほど強い心の持ち主であった。」


そういえば、「信じられないほど強い心」というのを、私は「ユング研究所の思い出」(単行本で10㌻ほど)で文章として読んだことがあったのでした。あの資格試験の時も、それからずっと河合隼雄さんはかわっていなかった。


中沢さんの追悼文は、最後の方にこうありました。
「この世に二人といない知恵の賢者を、失ってしまったのである。」


それでは、その賢者が受けた資格試験とは、どういうものであったか。
まだ、「ユング研究所の思い出」をお読みでない方がおられましたなら、
一読をお薦めするしだいです。




追記 講談社プラスアルファ文庫に「母性社会日本の病理」が入っているようです。

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