和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

どこでもあることだ。

2023-12-03 | 重ね読み
吉田光邦著「日本の職人像」(河原書店)をひらいていたら、
「にせもの」への記述があり印象深い。また思い浮かべそうで、
せっかくなので引用しておくことに、

「もっともこれはべつに日本だけではない。どこでもあることだ。
 画家コローの作品と称するものが、コローが一生かかっても
 画ききれぬほど大量に世界にあることは有名なことである。

 こんな話がある。ある画商に客が来た。
 客は壁にかかっているコローの画をほしいという。
 画商はいう。それはにせものです。あまり有名ではないが
 こちらの画はほんもので、絵もなかなかよろしい。
 値段も同じくらいです。客はいった。

 有名でないならいらんよ。わたしほどの身分の家には
 コローぐらい一枚かかっていなくてはね。つまりコローがあることは、
 一種のステータス・シンボルなのだ。世間での地位のシンボルなのである。


 正宗とか左文字とか名刀のにせものもやたらに多い。
 先祖が主君から拝領した由緒のはっきりしたものなのに、
 とふしぎがる人もいる。由緒正しいからにせものなのだ。

 江戸時代、論功行賞の方法に刀をやることが多かった。
 主君が臣下に与えるのに、名も知られていないような刀をやるわけにはゆかぬ。
 それは主君の体面を傷つけることである。
 そこで名刀のにせものがいつも殿様のところにはストックされていたものだ。
 殿様はそれを臣下にやる。臣下もほんものとはもちろん信じていない。
 正宗であるか、吉光であるか、それによってランクがあったのだ。

 今の勲章の勲一等とか勲二等とかいうことと同じだ。
 やはりステータス・シンボルである。
 にせものはこうした機能をもっていたのだ。・・・・

 質より名、しかしちゃんとした機能と意味はあったのである。」(p160~161)

 ここを読んで、そういえばと思い浮かぶ箇所が
臼井史朗著「疾風時代の編集者日記」(淡交社)にありました。
そこに臼井氏に日記に登場する、叙勲と吉田光邦の箇所がある。
紫綬褒章を受章する際のことが書かれておりました。

「 昭和62年9月29日午後5時に吉田光邦氏来社。・・・・
  ・・・吉田光邦氏とても勲章が欲しいのである。
  紫綬褒章についてひとくさり話をする。

  ・・・≪辞退するかどうか≫文部省から下問があるらしい。
  変に辞退するとこれがあとあとまでも影響するのである。・・・

  人間に一生をどのように見るかは各人の勝手というもので
  どうでもいいのだが、世間には世間のルールがあるのだ。

 昭和62年11月30日午前11時に八杉君と吉田先生を訪問する。
 用件は紫綬褒章受章の御祝い、京都文化博物館における
 新しいプロジェクトについて。もう一つは
 受章祝賀パーティー用の出版進行について。・・・・・

 吉田氏は明日の叙勲のために、今日の午後に東京へ行くという。
 それでも非常に嬉しそうでうきうきしていたのである。
 やはり勲章というものは誰しもが欲しがるものらしいのである。・・」(p94~95)

そして
「 昭和63年1月25日
  紫綬褒章の受賞記念会はきわめて盛会だった。
  その中でもっとも印象的で愉快だったのは、
  人文研究所長の挨拶だった。
  
  褒章制度の歴史を、誠に軽快に話したあと黄綬、藍綬とあるが
  紫綬褒章はちょっと格が上だという話になって、
  世間では紫綬褒章はミニ文化勲章といわれている・・・と。

  ただし順番待ちをしなければならなにので、
  順番がまわってくるためには20年くらいは待たなければならないのです
  
  ・・・20年後にまた皆さんとともに今日のように
  盛大なパーティーをやることを約束いたします・・・

  とたくみなスピーチであった。
  
  この記念のために制作依頼をうけた
  『読書瑣記』が非常に好評であり安心する。・・  」(p96)

はい。まだ余話はつづいておりますがこのくらいで。
うん。『読書煩記』を読む気にはならないのですが、
吉田光邦氏の気になる本注文しておくことにします。

 
 



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