和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

『 南、こらないでいいからナ 』

2023-11-06 | 重ね読み
気になったので、松田哲夫著「編集狂時代」(本の雑誌社・1994年)
をひらいてみる。はい。あとがきには500枚になってしまったことを

「 これだけの枚数を書き続けることができたのは、
  ワープロ(パソコン)を使うことができたからです。・・ 」(p347)

と、小沢信男さんが話したと同じ指摘がされておりました。
はい。梅棹忠夫さんのタイプライター打ちからはじまって、
いつのまにか、随分ありがたい世の中になっておりました。

はい。最初から読まずに、パラリとひらいた箇所に
赤瀬川原平さんとのことが、書かれているのでした。
赤瀬川さんの本を、松田さんとふたりで凝って作る。
その反省の言葉がでてくるのでした。

「・・いい本だと、今でもぼくは思っている。
 でも、凝りすぎたこともたしかだ。そういえば、
 赤瀬川さんの出した本のうちで、ぼくが客観的に
 見て名著だと思い、売れた本というのは・・・・

 ぼくが編集にかかわっていないものばかりだ。
 どうやら、二人の凝り性が複合すると、普通の
 読者を排除する方向に走っていきがちなのだろう。」(~p206)

このあとに、南伸坊くんが『ガロ』編集部にいた頃のエピソードが
出てくるのでした。

「毎晩、おそくなるまで、ボク(南伸坊)は会社で仕事をしていたけれども、
 それは会社のためではなくて自分のためだった。

 ためというより、おもしろいからやっていたのだ。
 長井さんは時々、一心不乱みたいに、ボクが机にかじりついて、
 髪をふり乱すみたいにして・・・やっていると、

 『 南、こらないでいいからナ・・・ 』

 と、肩のすっかり抜け切った例の声で言うのだった。」

このあとに、こうあるのでした。

「『手を抜かないように』とか、『もっとていねいに』
 という注意ならわかるが、『 凝らないように 』とは
 いかにも長井(勝一)さんらしいやと、

 その話を聞いて、皆で大笑いした。笑ってからしばらくたって、
 『 そうか 』と思った。

 『 凝りすぎないこと 』なのだ。これこそ、ぼくのような、
 病的に凝ってしまう性癖をもつ編集者にとっては、
 ほかの何を忘れても絶対に忘れてはいけない、重要な教えだったのだ。」
                       ( p206 )

松田哲夫著「縁もたけなわ」に、
本の雑誌の目黒考二さんが、五カ月後に終刊した雑誌を出した松田さんを
さそう場面がありました。

「・・『飲みましょう』と誘ってくれた。いろいろ話している時、
 『 松田さん、一生懸命やっていたでしょう 』と聞くので、

 ぼくは『雑誌は未経験なので、悔いのないように努力した』と答えた。
 ・・・・すると、

 『 雑誌は一生懸命作っちゃだめ。読者が窮屈になるんですよ 』と言う。
 その時、目からウロコが落ちるような気がした。  」(p231)

この本に、もう一箇所引用したいところがありますので、
もう少しお付き合いください。それは老人力が語られる箇所でした。

「赤瀬川さんには、物忘れ、固有名詞が消える、『どっこいしょ』と言う、
 溜息をつくなどの老化現象が、現われ始めていた。
 そこで、『忘れる』談義に花が咲く。

『若い時って、イヤなことをいつまでも覚えててつらかったこともあった』
『記憶力は頑張れば身につくけど、忘れるのは頑張ってできることじゃないね』
・・赤瀬川さんらしい考え方が全面展開される。そこで藤森(照信)さんは、

『老化ってマイナスイメージしかない。思いっきり力強い表現にしちゃおう』

 と『 老人力 』という言葉を口にする。・・・・・

『 スポーツの力は筋トレなどでつけていく。
  でも、いざチャンス、いざピンチという時には、
  コーチや監督が『 肩の力を抜いていけ 』と言う。
  あれも同じじゃない 』

 ・・・そして、老人力のあらたなが解釈が積み重なっていく。 」(p210)

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