和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

愛読された「往生要集」

2023-09-16 | 古典
鴨長明の方丈の家に置かれたとある「往生要集」を
いつか読んでみたいとは思っておりました。

はい。思うだけで、読まない(笑)。
あれ、これは絶好の道案内になるのじゃないか。
という本がありました。
伊藤唯真著「日本人の信仰阿弥陀 未知へのやすらぎ」
(佼成出版社・昭和54年)。はい。古本で500円でした。

第四章にでてきました。『往生要集』

「『往生要集』全三巻は・・・十章からなり、
 各章はさらに幾つかの節に分かれている。

 そのうち、人びとの心を捉えて離さなかったのは、
 鮮やかな対比をなして接しあう『厭離穢土(おんりえど)』と
 『欣求浄土(ごんぐじょうど)』の二章であった。

 仏教を感覚的に受容しがちな当代の人士に
 最も影響の大きかった部分である。  」(p117)

「『往生要集』の真価はこの二章にのみ存するのではないが、
 純粋に教学的な箇所よりも、多くの人びとが影響を受けたのは
 感覚的に理解しやすい右の二章にあったことは確かである。

 そしてまた、人びとは称名念仏が往生の行として
 優位性をもっていることを教えられたのである。

 この書は、経論の要文を抄出、合糅してつくられているが、
 それらをリライトした源信の文章は鮮烈優美であり、
 所論の展開も卓越しているので、
 それ自体一個のすぐれた文学作品たるの観がある。

 『往生要集』が僧俗を問わず愛読され、その出現が
 王朝の人士の心奥に強い願生浄土の信仰を植えつける
 大きな機縁となったのも当然であった。   」(p120)


「・・・『栄花物語』には、『往生要集』の文をそのまま、
 あるいは取捨按配して利用した箇所が多い。
 『かの往生要集の文を思出づ』ともあって・・・  」(p125)

このあとの第五章は空也が登場しておりました。
そんなこんなで、『往生要集』が何だか身近に思えてきます。

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