和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

考える牛。

2009-02-11 | 安房
谷口治達著「青木繁 坂本繁次郎」(ふくおか人物誌4・西日本新聞社)をパラパラとめくっていたら、こんな箇所がありました。


「大正元年と名を変えたその年の秋の第六回文展に坂本(繁次郎)の『うすれ日』と題する絵が出品され、人々にしみじみと語りかけた。小説家夏目漱石もこの絵の前に足を止めた一人で、次のような評文を東京朝日新聞に寄せた。」(p161)
以下は夏目漱石の評文。

「『うすれ日』は小幅である。牛が一匹立っているだけである。自分は元来牛の油絵を好まない。その上この牛は自分の嫌いな黒と白の斑(ぶち)である。その傍には松の木か何か見すぼらしいものが一本立っているだけである。地面には色の黒い夏草が、しかも漸(よう)との思いで少しばかり生えているだけである。その他は砂地である。この荒涼たる背景に対して自分は何の詩興も催さないことを断言する。それでもこの絵には奥行があるのである。そうしてその奥行きはおよそ一匹の牛の寂寞として野原に立っている態度から出るのである。もっと鋭く言えば、何か考えている。『うすれ日』の前に佇んで、小時(しばらく)この変な牛を眺めていると、自分もいつかこの動物に釣りこまれる。そうして考えたくなる。もし考えないで永くこの絵の前に立っているものがあったら夫(それ)は牛の気分に感じないものである。電気にかからないようなものです。」

以下は、この本の著者・谷口氏がつづけております。

「まずは絶賛と呼んでいい文章である。短い文で坂本の実像をよく捕えている。牛とそれを描いた画家が重なって一元となった感じである。しかも反省的な時代風潮とも一致している。坂本はこの作品で開幕したばかりの大正画壇に静かにデビューしたのである。後日『馬の坂本』と呼ばれるが、大正時代はむしろ『牛の坂本』だった。たくさんの牛の絵を描いている。同年夏、千葉県東海岸、夷隅郡御宿を写生旅行した坂本は、荒涼とした太平洋岸で放し飼いのこの絵の牛に出会った。漱石のこの文ゆえに『うすれ日』は『考える牛』と別称され、また『考える牛』は坂本自身を指す意味も持った。沈思黙考、考えながら描き、描きながら考える姿が仲間たちの間でも印象的で『哲学画家』とも呼ばれたのだった。・・・・
『うすれ日』を描いた御宿は青木が『海の幸』を描いた布良の北方である。千葉県太平洋岸で描いた絵が二人の出世作となった。しかも一方は勇壮豪華、一方は沈思幽遠、好対照の作である。」(~p163)
 
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« あつといふ間。 | トップ | 有難い。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

安房」カテゴリの最新記事