俳諧の本については、題名からしてわからなくって、
それだけでも、お手上げの状態なのでした。
たとえば、『毛吹草』、『武玉川』、『誹風柳多留』と
まるで、なぞなぞでも出された気分。それでも、
対談を読んでいると、少しずつ夜が明けるような気になります。
たとえば、丸谷才一・谷沢永一対談「文庫文化の過去と未来」。
そこに『毛吹草』なんてのが、説明ぬきでひょこっと出てくる。
谷沢】 昔から鞍上、枕上、厠上と言いますが、
そういう場合に備えるということはありませんか。
丸谷】 寝酒がわりに読むには、文庫、新書は軽くていいですね。
それと『毛吹草』という俳諧の本が岩波文庫にあるでしょう。
歌仙を巻くときに持って行くと、非常に具合がいい。
談林だから、ぼくの俳句の風にあうんです。(笑)
谷沢さんは今、文庫をどんなふうに利用なさってますか。
( p223 丸谷才一対談集「古典それから現代」構想社 )
はい。だからって、『毛吹草』がどんなのかは分からないのですが、
なんだか、袖触れ合うも他生の縁とでもいうか、かなんというかで、
ちらりとでもわかったきになり、親しみがもてます。
つぎには丸谷才一・大岡信の『歌仙早わかり』に
武玉川・誹風柳多留とが出てくる箇所を引用して
備忘録とします。
丸谷】 季の句は、わりとつくりやすい。
大岡】 つくりやすいです。季語が入るからね、当然。
・・・・
大事なのはむしろ雑ですね。
丸谷】 雑の句のことを論ずべきですね。雑の句は難しいな。
おもしろいもので、われわれが歌仙を巻き始めたころは、
『武玉川』が歌仙の雑の句から出ていったなんてことは、
よくわからなかったね。いまになってみると『武玉川』に
材料を提供した時代の歌仙はすごかったわけですね。
ああいうのが、毎日、毎日、江戸でつくられていた。
大岡】 膨大な数あったわけですよね。たとえば、『武玉川』の
点者は慶紀逸という俳諧師です。・・慶紀逸の時代になると、
芭蕉の遺産である連句が、日本の津々浦々でつくられた。
慶紀逸自身が点者として連句をたえず指導していたわけです。
それがあまり膨大なので、ある日ふと気がついて、
連句全体としてはつまらないとしても、
なかに何句かはすばらしい句がある、
そういうのだけ集めて、作者名を全部伏せてしまって
本を一冊つくってみたら、これがめちゃくちゃに当たって
大ベストセラーになった。そこで・・膨大なシリーズが
延々と出て、全部ベストセラーになっちゃった。
それはつまり、それを支えていた連句人口がすごかった
ということ。連句をつくろうと思ってる連中も、
これはおもしろいと思って『武玉川』を買っては勉強したと思います。
そういう意味でいうと、『武玉川』という本一冊の背後に、
江戸時代の文明開化された作者たちが実に大量にいたわけです。
『武玉川』の最大の特徴は、月とか花ということをいっさい
無視しちゃって、付け句のおもしろいものを全部集めたことでしょう。
そのなかには、時々は月や花もあるかもしれないけど、
ほとんど雑の句であること。
丸谷】 とくに人事の句。
大岡】 これが見事ですね。
あれから川柳が出てくるわけですから、そういう意味でいえば、
『武玉川』から柄井川柳が生み出した『誹風柳多留』へ
つながっていくわけです。
『武玉川』は、五・七・五もあれば七・七もあるという、
付け句の名作集です。七・七にすばらしいものがある。
丸谷】 七・七がいいんだよ。
( p42~43 「とくとく歌仙」文芸春秋・1991年 )
はい。この対談のおかげで、見知らぬ俳諧本も、
そのハードルがさがって手にしやすくなります。
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