和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

富士正晴の雑文集。

2023-08-24 | 本棚並べ
富士正晴著「狸の電話帳」(潮出版社・1975年)のあとがきに、
この本は「五冊目のわたしの雑文集」であるとありました。

これが気になり、5冊の雑文集をあつめてみることに。
はい。私は雑文集というのが好きで、まして
富士正晴氏などのは、雑文の方が生き生きしてるんじゃないか。
そう思うところがあるからで・・・。

昨日。その一冊が届いている。今朝ポストを覗くと
新聞といっしょにありました。
富士正晴著「八方やぶれ」(朝日新聞社・1969年)。
カバー絵、表紙・扉カットは、富士伸子とあります。

パラリとめくると、蚊が押し花みたいに
本の頁にはさまり、圧死してる(笑)。

この本の最後の文は「私の絵とその応援団」。
はい。ここから引用してみることに。

「高等学校を中退して、花鳥画家の榊原紫峰の長男の家庭教師を
 していた時、君、絵かきにならぬかと一度だけいわれた。
 二度といわれなかったところを見ると、
 余り見込みもなかったのではあるまいか。」(p263)

「・・紫峰氏の一言に勇奮して、絵にいそしむということはなかった。」(p264)

「戦争から帰って、板が残っていた限り、版画をほりつづけ、
 板がなくなったらやめた。」(p264)

「それと前後して、何をどう思ったのか、
 京都で二回版画展をひらいた。・・・

 二回は進々堂というパン屋の喫茶室で。
 どちらも版画を入れる額を借りるのに苦労した。
 
 伊東静雄、上野照夫、大山定一といった
 戦前からの知り合いが、文章をかいて応援してくれた。 」

「このあたりの記憶はいまは大分おぼろ気である。酒が配給制の時代であった。」

「何のときか大洞(正典)の家へ皆で寄って酒をのんだことがある。
 酔っぱらって、わたしは襖に絵をかきなぐり、
 吉川幸次郎は書をかいた。貝塚茂樹が後から、
 こうかけ、ああかけと指図していた記憶がある」

「数年前、或る日突然に、わたしの画展を東京でやって、
 びっくりさせてやろうという企てが起り、
 わたしは応援団つきで絵をかかされた。

 多田道太郎、山田稔、杉本秀太郎といった・・酒をのみながら、
 シラフで絵をかいているわたしを鼓舞激励するというわけである。

 何カ月かかかり、絵がたまると、桑原邸でそれのよりわけがあり、
 作品名は貝塚茂樹が片っ端からつけて行った。

 文春画廊で一週間足らず興行したこの画展は、その受付は豪華陣であり、
 桑原、貝塚、鶴見、吉川・・、当のわたしは照れに照れて、
 東京へも行かなかった。・・   」(p266)

はい。雑文の楽しみを味わえた気分になります。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 讃岐の国の源太夫が。 | トップ | 八月 遊ぼうと働こうと »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

本棚並べ」カテゴリの最新記事