和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

隣の国が戦争を。

2016-09-12 | 地域
「姥捨山の話」
を宮本常一氏が紹介しておりました。

「姥捨山というのは、年をとった人は
捨てなければいかんというので捨てにいく。
ところがある孝行息子が自分のおばあさんを
捨てにいくはいかにも申し訳ないと思って、
ひそかに自分の家の中に隠しておいて食事を運んでいた。

そのとき隣の国から、いろいろの難題をふっかけてきた。
殿様がそれを臣下の者に、どのように解いたらよいか、
たとえば一本の枝をもってきて、
『どちらが頭か尻か、それを調べろ』と尋ねたけれども、
だれも答えることができない。
そのおばあさんに聞いたら、
『なんでもないことだ、
その枝を水の上に浮かしてみたらよく分かる。
よく浮いた方が末で沈むほうがもとだ』

あるいは『灰を縄になってこい』といわれて、
さて、そんなむずかしいことができるものかと
みんなで悩んでいると、
そのおばあさんは、
『簡単なことだ。縄になってものを焼いて、
灰にして持っていけばいいじゃないか』
『なるほど』というので、
それを持っていったところが、はあ、
これはたいした知恵のある人たちがおる国だと思って、
隣の国が戦争をしかけてこなかった。
そこで殿様は、
『お前はなかなかよくできるから、
お前の望みどおりのものを取らせる』
『実は、私のおばあさんを山へ捨てるのを止めて頂きたい』
『捨てたのだろう?』
『いえ、捨てておりません。実はこうして家へ
置いたおかげで、こういうことになったのでございます』」


これは、「民話について」で
紹介している宮本常一氏の報告です。
このあとに宮本氏はこう指摘しております。

「これなどはたいへん面白い話だと思いますが、
そういうような知恵を大事にする話は非常に沢山あるのです。
結局、われわれがすぐれた知恵を持つということは
いろいろの困難を克服するもとになるのだ、
そういうことを教えております。
その知恵というものは、ただ頭の中で考えた
だけで得られるものではなく、多くの人、
あるいは自然の助けを得る、またわれわれが
いろいろ訓練をすることによって得られる。
そういうようにして得られるものである。
これが知恵のあり方であったように思います。
・・・・
ですから昔話というのは、一つ一つ聞けば、
ごくつまらないことのように思われますが、
われわれにとってはそれが非常に大事な教養になる。
今日のような、論理とかいうもので内容のない、
ただ一つの思考方法だけで片づけていくことが
よいことではなくて、いろいろの体験を通して
そういうものをもっていくことが大事だ、
これが昔の人たちの考え方にあったのだと思います。
そしてそれらが昔話の中で語られているわけです。」
(p46~47)

以上は
「宮本常一著作集別集2・民話とことわざ」(未来社)より。
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