和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

治療をもたらさないような分析。

2016-09-01 | 書評欄拝見
雑誌「正論」10月号をひらく。
ほんの数頁しか読まないのに、
月刊雑誌を購入するゼイタク。


今回はじめて気づたのですが、
江崎道朗氏が「SEIRON時評」を連載してる。
そこに、以前の号での読甲斐のあるページを
紹介しておりました。ありがたい。
そうなのか。ここを読めばいいんだ。
さいわい、古い雑誌も本棚に並べはじめたし。

今回読んだ数頁は、
長谷川三千子氏の文でした。
その文で柄谷行人著「憲法の無意識」を
俎上にのせて、鋭利な解説をしております。

柄谷行人著「憲法の無意識」(岩波新書)
を引用している箇所を引用。

「憲法九条が執拗に残ってきたのは、
それを人々が意識的に守ってきたからでは
ありません」と氏は言ひます。
「九条はむしろ『無意識』の問題なのです。」
そして、「無意識は、意識とは異なり、
説得や宣伝によって操作することができない」
のだと氏は語る。これは厄介なことになつて
きました。もしそれが本当だとすれば、
そもそも憲法議論などといふことが
なり立たなくなつてしまふからです。

すこし端折って、

 実際、柄谷氏自身も、
十四年前の著作「日本精神分析」のなかでは、
はつきりとかう言ひ切つてゐたのですーー
『精神分析は治療を目標とするのであって、
治療をもたらさないような分析は意味がありません』。
だとすれば当然、
この『憲法の無意識』においても、
柄谷氏は、いつたいどうすれば日本人の
『強迫神経症』ーー憲法九条を守れ!といふ
かたちであらはれてゐる神経症ーーを
治すことができるのか、その道筋を示して
くれるはずです。
ところが、いくら読んでも、
ここには『治療』へも道筋が示されてゐない。
それどころか、まるで、これを治そうなどと
考へるのは非国民であると言はんばかりの口調で、
柄谷氏はかう繰り返すのですーー
『憲法九条は、日本人の集団的な超自我であり、
『文化』です』。さらには、
『子供は親の背中を見て育つといいますが、
文化もそのようなものです』などといふ言葉まで
とび出します。かつて、日本文化そのものを、
治療すべき精神疾患ととらへて、
そこからの『治療』を説いた、
『日本精神分析』の頃の柄谷氏とは、
別人のごとくです。

ここまで、引用すれば
あとは長谷川氏の文の最後を引用して
終わりにします。
うん。読めてよかった。

 この本を通読して気付くのは、
これだけ憲法九条について多くの言葉を
費してゐるのに、その条文そのものが
どこにも見あたらない、といふことです。
つまりこの患者さんは、
九条二項の条文を読んでしまつたら、
占領軍による強制の魔術がほどけてしまひ、
自分の『道徳的マゾヒズム』の原動力が
なくなつてしまふことを知つてゐるのです。
 解散したてのシールズの皆さんも、
見当はづれのパフォーマンスに精を出すかはりに、
日本国憲法第九条の条文をしっかり読んで、
治療と再生の道を歩んで下さいね!


はい。この書評を読んだら、
長谷川三千子著「九条を読もう!」(幻冬舎新書)
を、まずは手元におこうと思いました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする