和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

単なる暇つぶしとは違う。

2016-02-28 | 短文紹介
新刊のドナルドキーン著「石川啄木」(新潮社)を
注文して届く。
本を買ったからといって、読むとは限らない(笑)。
とりあえず。
この本の最終章の最後の方にある言葉を引用。


「啄木は、千年に及ぶ日本の日記文学の伝統を受け継いだ。
日記を単に天候を書き留めたり日々の出来事を記録するもの
としてではなく、自分の知的かつ感情的生活の『自伝』
として使ったのだった。啄木が日記で我々に示したのは、
極めて個性的でありながら奇跡的に我々自身でもある
一人の人間の肖像である。
啄木は、『最初の現代日本人』と呼ばれるにふさわしい。」


うん。最終章の最後も引用しなきゃね(笑)。

「啄木の絶大な人気が復活する機会があるとしたら、
それは人間が変化を求める時である。
地下鉄の中でゲームの数々にふける退屈で無意味な行為は、
いつしか偉大な音楽の豊かさや啄木の詩歌の人間性へと
人々を駆り立てるようになるだろう。
啄木の詩歌を読んで理解するのは、ヒップホップ・ソングの
歌詞を理解するよりも努力が必要である。しかし、
ファースト・フードから得られる喜びには限度があるし、
食欲はいとも簡単に満たされてしまう。
啄木の詩歌は時に難解だが、
啄木の歌、啄木の批評、そして啄木の日記を読むことは、
単なる暇つぶしとは違う。
これらの作品が我々の前に描き出して見せるのは
一人の非凡な人物で、
時に破廉恥ではあっても常に我々を夢中にさせ、
ついには我々にとって忘れ難い人物となる。」

本棚の整理をしはじめると、なんだか、
本に対して、つねにニュートラルになって、
本を読み通すというギヤが入らない。
なんて、言っているうちに、明日で2月が終る。
コメント
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