和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

かかる時、久保田さん。

2016-02-10 | 本棚並べ
河上徹太郎著「史伝と文芸批評」(作品社)に
「久保田万太郎」と題する短文が載っており、
今回はじめて読む。
「この度不慮の訃に接した」とあるので
追悼文です。

「氏(久保田万太郎)を私に紹介したのは、牧野信一だった。
私と牧野さんと二人で所在がなくなると、よく牧野さんが
お座敷をかけるのは、久保田さんだつた。当時久保田さんは
愛宕山にあつたNHKの音楽兼演芸課長だつたが、
いつでも気持よく山から降りて来てつき合つてくれた。」

気になるので、もうすこし引用させてください。

「殆ど下町つ子しか書かなかった久保田さん・・・
舞台が狭いが故にその純粋さは一層保証されるのである。
牧野さんにとつて、そして私にとつて、
久保田さんは普遍的な文学精神だつた。
人は久保田さんの好き嫌ひが激しく、頑固な性分を指摘する。
或ひは公平に見てそうかも知れない。
然しそのために通せた意図の純潔は、その賜物である。
それは小説の主題の狭さと同じ結果を呈する。
今いつたことは人づき合ひの上に現れることだが、
例へば酒の上で久保田さんは非常に愛想よく、
あの有名な急ピッチの盃の応酬で忽ちいい気持に
させられるのだが、こちらの身になつて見れば
手放しで気を許してゐられないものがあつた。
それは久保田さんの己を持することの厳しさであつて、
その対象が人間であらうと文学であらうと同じことなのである。
厳しさとは批評の厳正さに通ずる。およそ近代文学批評など
と縁の遠い久保田さんから批評精神の真髄を伝へられるとは、
これまた理窟にならないが・・・・
要するに、例へばヴァレリーが乱世の中に
精神に絶望してゐない如く、
私は形なくとも文学精神の偏在を信じてゐる。
かかる時、久保田さんの死に遭つて
下町文学が滅んだなど嘆きはしない。
その自信をつけてくれたのが久保田さんだからである。」
(p217~219)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする