山折哲雄著「これを語りて日本人を戦慄せしめよ」(新潮選書)の後半を
とりあえず、読み終える(笑)。
内容を読み込んだかと問われれば、
パラパラと最後まで目を通したのみ(笑)。
さてっと、後半に「海南小記」をとりあげた箇所、
そこが印象に残ります。
「貴族院書記官長を最後に官界に別れを告げ、大正九年八月から東京朝日新聞社客員となった(45歳)。月の手当は三百円で、旅費は社則によって別途支給されることになり、最初の三年間は国の内外を旅行することができるという好条件だった。
はじめの旅は、この年の八月からの東北地方への旅で、『雪国の春』として実る。ついで十月には中部地方に出かけ『秋風帖』が書かれた。三つ目が『海南小記』の旅だった。この三冊は昭和十五年(1940)になって『創元選書』として復刻されたが、このとき中谷宇吉郎が東京朝日新聞に書いた印象深い文章を牧田茂が共感をこめて紹介している。
百年と言わず、もう三十年もしたら、
現在出ている沢山の思想や哲学の
大名著が皆消えて、この汚い紙に
刷ってある三冊の安い本が残る
のではないかという気がする。
(角川ソフィア文庫新版『海南小記』2013年、解説) 」(p214~215)
ここから、直接柳田国男を読み始めればベスト。
その前に、益田勝実に寄り道することに(笑)。
とりあえず、読み終える(笑)。
内容を読み込んだかと問われれば、
パラパラと最後まで目を通したのみ(笑)。
さてっと、後半に「海南小記」をとりあげた箇所、
そこが印象に残ります。
「貴族院書記官長を最後に官界に別れを告げ、大正九年八月から東京朝日新聞社客員となった(45歳)。月の手当は三百円で、旅費は社則によって別途支給されることになり、最初の三年間は国の内外を旅行することができるという好条件だった。
はじめの旅は、この年の八月からの東北地方への旅で、『雪国の春』として実る。ついで十月には中部地方に出かけ『秋風帖』が書かれた。三つ目が『海南小記』の旅だった。この三冊は昭和十五年(1940)になって『創元選書』として復刻されたが、このとき中谷宇吉郎が東京朝日新聞に書いた印象深い文章を牧田茂が共感をこめて紹介している。
百年と言わず、もう三十年もしたら、
現在出ている沢山の思想や哲学の
大名著が皆消えて、この汚い紙に
刷ってある三冊の安い本が残る
のではないかという気がする。
(角川ソフィア文庫新版『海南小記』2013年、解説) 」(p214~215)
ここから、直接柳田国男を読み始めればベスト。
その前に、益田勝実に寄り道することに(笑)。