和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

「西行」と呼び慣わし。

2014-04-09 | 短文紹介
山折哲雄著「義理と人情 長谷川伸と日本人のこころ」(新潮選書)を
読み始めたところ(笑)。

まえがきに、こうあります。

「長谷川伸は明治の人である。母親と生き別れ、小学校も卒業せずに、父親がやっていた土木請負業の世界に入り、さまざまな職業遍歴の末、作家となった。・・・氏は自伝の『ある市井の徒』のなかで、当時、そのような流浪の土工たちのことを『西行(さいぎょう)』と呼び慣わしていたのだといっている。これはかつての西行法師の『西行』にかこつけて呼んでいたものであろう。諸国を放浪して歩いた出家僧と、いわゆる遍歴職人たちの苦難の旅のイメージが重ねられている。もともと旅の僧も遍歴職人も、こわれた道や橋をつくり直したり、井戸を掘ったり、各地でいろんな普請の仕事にたずさわっていた。・・」


う~ん。一遍が形をかえて、脈々と長谷川伸までつながっていたような錯覚を覚えます。

佐藤忠男著「長谷川伸論」を紹介して、こんな箇所も、

「・・・日本の大衆文学を築きあげた人びとのなかには、文部省のきめた学歴をふんでいない人びとが多い。吉川英治、菊田一夫、松本清張、みんなそうだが、長谷川伸はその大先輩にあたる。こうした大衆作家にとって『教養』とはいったい何だったのか、という問題である。何がかれらの生きる支えだったのかということだ。それを考えるのに長谷川伸はまぎれもなく鍵になる人物だというわけである。さらに、近代日本における『民衆の精神史研究』のもっともすぐれた開拓者だった、と高い評価を与えている。
いつごろからか私は、よく長谷川伸の作品を読むようになっていた。なぜかといえば、それで心の洗濯をしたような気分になっていたからだった。そんな癖がついてしまっていたのである。」(~p31)
コメント
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