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和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

確信している。

2008-11-27 | Weblog
ハルキ文庫の「新美南吉詩集」を読んだら、そうだ。そうだ。岩崎書店の「美しい日本の詩歌」というシリーズの一巻目。「新美南吉詩集 花をうかべて」を、あらためて開いてみたくなりました。( こちらは、小学校の図書館に入るような分かりやすいシリーズのようです )こちらを、読んだのは、もう8年ほど前になります。その岩崎書店の本には、最後に北川幸比古氏の文章が載っておりました。そこで北川氏は、一読、忘れられない指摘をしております。

「しかし、まだ定評とはいえない。南吉の詩作品の評価は、読者のひとりひとりがこれからするのである。私は南吉の詩は、ときには童話をぬくほどの文学だと、確信している。」

その北川氏の「確信」を、私は読んで、うなずいていたはずなのに、さらに調べて「校定新美南吉全集第八巻」を読んでみようともしませんでした。この第八巻目は、南吉の詩・童謡271篇、短歌36首、俳句393句が入っていると北川氏は最初に書いておりました。ちなみにシリーズの本には詩・童謡38篇、短歌2首、俳句7句を選んで編んだとあります。「読者のひとりひとりがこれからするのである。」というを、読者である私はおろそかにして、いままでおりました。

そうそう、そのころ私は、全集を読むという発想がありませんでした。
それに、ネット上で検索するということも考え及びませんでした。
今なら、ネットの古本屋で検索すれば、すぐに見つかります。
しかも、第八巻だけで注文できるじゃありませんか。
ならば、第八巻だけ注文してみました。
これで、北川氏の「確信している」を、私なりにたどり直すことが出来ます。ただし、私は新美南吉の童話等は読んでおりません。あしからず。というところです。さっそく、第八巻を読んでみました。手ごたえは、ハルキ文庫の「新美南吉詩集」があれば、十分に南吉の詩を堪能できると分かります。まあ。それほどにハルキ文庫の編纂が上手く出来ております。

ところで、北川幸比古氏のあとがきが、魅力的なのです。
そこに、遺稿から巽聖歌氏が選んでつくった詩集「墓碑銘」。
そのカバー袖に書かれている伊藤整氏の言葉が引用されております。「新美南吉詩集は、実に立派なものだ。彼は自分が何に感動したのかを知っている。そして、それをどのように表現すべきかを知っている。素晴らしい詩集だ。日本の詩が荒廃の極点にあったようなとき、この人は、ひっそりと生きて、石ころの間に混じる宝石のように、本当の詩を書いていた。それをまとめて読むことができるのは、読む人の幸福である。」

うん。ハルキ文庫の「新美南吉詩集」は、その幸福のありかを探りあてるための
絶好の地図を提供してくれている。そう私は思うのです。新美南吉は大正2(1913)年に生まれ。昭和18(1943)年に亡くなっております。ここで、伊藤整の言う「荒廃の極点にあったようなとき」というのは、その戦争中のことを指しているのでしょう。
まあ、詩を二篇。

    詩人   新美南吉

  闇黒の中に
  一点の光を見つけると、
  その中から
  何か詩趣を見出さなければ
  おかない俺だ。

・・・・・・

  俺は只、
  太陽と地球の間に
  生滅する事実を
  紙の上に書き連ねてゐる
  馬鹿な男なのだ。

・・・・・・

  只、俺は、
  天地の間から詩趣を見出せば好い。
  そんなに俺は馬鹿げた男なのだ。

                 (以上は半分省略しました)




    霙(みぞれ)   新美南吉

  まづ火屋(ほや)を
    研ぎすませ
  古い油をすて
  精製された美しい
    油を みたせ
  芯を一文字に切れ
  燐光の青さを 
    点じ
  炎の明るい花を咲かせよ
  その下に
  詩の 雪白の
    用紙をおけ
  ほら聞えないか
  しんしん と
    枯山に
  霙のしみる 声が
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