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和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

嚆矢(こうし)論語。

2008-11-26 | Weblog
佐久協(やすし)著「高校生が感動した『論語』」(祥伝社新書)。
この新書で、やっと論語が読めた気がします。
論語は、いつか読みたい、と思ってました。
そして、思うばかりで読めずにおりました。
弟子との会話なのに、読めない。
論語の日本語訳を読んでいると、
会話を聞いている感じに、どうしてもなれない。
ということで(私が読む気にならなかっただけなのですけれど)
今まで、読まずに。読めずにおりました。
それが、この佐久協著「高校生が感動した『論語』」
を開いたら、あ~ら不思議。
すらすらと読めてしまう。
これは楽しい。たとえば、

   子日、徳不孤、必有鄰、

これを、佐久協訳では、

孤立を恐れるんじゃないよ。正しいことをしていれば、必ず同調者が現れるからね。

もうすこし引用します。

 子曰わく、弟子、入りては則ち孝、出でては則ち弟(てい)、
 謹みて信あり、汎(ひろ)く衆を愛して仁に親しみ、
 行ないて余力あれば、則ち似て文を学べ。

これが、佐久論語になると、どう現代語訳されているか?

 家では親の手伝いもせず、外では老人に席も譲らず、
 相手を騙してでも人に勝ちたい、周りはぜんぶ競争相手だと
 ネジリハチマキで勉強最優先の生活を送っている若者がいるが、
 本末転倒もいいところだね。人を思いやる余裕のないうちは、
 いくら勉強したって何も身につきゃしないよ。

この箇所のご自身の解説も、引用しておきます。

 原文は「若者はかくあれ」と肯定文で書かれているが、
 否定表現で訳した方が分かりやすいだろう。孔子の説く学問とは、
 知識の集積ではなく善く生きることの実践である。

佐久協(さくやすし)の略歴もありましたので載せておきます。

「1944年、東京都生まれ、慶應義塾大学文学部卒業後、同大学院で中国文学・國分学を専攻。大学院修了後、慶應義塾高校で教職に就き、国語・漢文・中国語などを教える。同校生徒のアンケートで最も人気のある授業をする先生として親しまれてきた。2004年退職。」

この論語の現代語訳の苦心は「あとがき」にありました。

「それにしても短い章句に実に様々な訳や解釈のあることに今さらながら驚かされた。いったい孔子は何を言わんとしているのかと頭を抱えて投げ出したくなることも屡々(しばしば)だったが、そうした際に最も参考になったのは、これまで三十余年にわたって大学ノートに書き貯めておいた生徒の質問や試験答案中の迷訳や珍訳の類(たぐい)だった。今はチリヂリとなった嘗(かつ)ての生徒諸君にこの場を借りて心より謝意を伝えたい。私の祖父・佐久節は旧制高校や大学で漢文および中国語を教える傍ら漢学者として膨大な著作を残したが、大正六年(1917年)には旧制高等学校用の漢文教科書『論語抄』を編纂している。・・・まがりなりにも訳を終えて思うに、聖典としてではなく、一著作としての『論語』の解釈は、ようやくこれから始まるのではないだろうか。不遜を省みずに言えば、本書がその嚆矢(こうし)となれば幸いである。」

こういう「あとがき」を読んでから、佐久論語を読み直すと、また違った身近な味わいを感じます。たとえば、この箇所。

  子曰わく、黙してこれを識(しる)し、学びて厭(いと)わず、
  人を誨(おし)えて倦まず。何か我れに有らんや。

これの現代語訳は、

  黙々と過去を探求し、気長に学び、学んで得たことを人に教えて飽きない。
  わたしはこれを自分の取り柄として生涯持ち続けていくつもりだよ。
  他には何の欲もないね。


ちょっと、堅苦しい引用になってしまったでしょうか。
それなら、最後はこんな訳でもって終ります。

    子、怪力乱神を語らず。

この佐久論語訳は、といえば

  先生は、ミステリーとヴァイオレンス、
  ポルノとオカルトに関しては触れなかった。


そうそう、新書の帯には、10万部突破とあり、
「慶応高校人気No.1 伝説の授業が本になった!」とあります。
慶応高校の生徒だけが享受していた授業が、ここに解禁となったわけですね。
バンザ~イ。佐久協の論語に、乾杯!





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