Eさんと近くの和風ファミレスでランチした。
天丼セットを食べた後に、お決まりのデザート。今日はクリームあんみつを。
Eさんは木曜日から家族でイタリア旅行だそうだ。ヨーロッパの代理店でホテルや特急列車を手配したからシルバーウィークだけどかなりお安く済んだんだって。
Eさんはまったく霊感はないそうだが、ただ一度、以前仕事でチェコに行ったとき、不思議な体験をしたらしい。ある広場にいたとき、空間の中に身動きできないほどの何かがギューギューに詰まっているのがわかるという感覚を覚えたんだそうな。
それは目には見えないけれどすでにこの世にないものだったという。はるか昔からついこの前までその土地で生きてきた、とてつもない数の人魂、あるいはその生きた証しの残留想念のようなものではないかと思ったそうだ。
わかるな~。
私にはそういう体験はないけれど、土地や場所によって「気」が変わるのはわかる。
日本でも海外でも場所には磁場の違いみたいなのがあって、場所によっては古くからの過去の次元と現在の次元が重なり合って入り込んでいるんじゃないかと思う。
どんな場所でも多かれ少なかれ、それまでの歴史(そこへ住んでいた人たちの念も含む)を体現している要素があるのだろう、と。
そして場所によってはその強い弱いや質の違いがあるんだと思う。 そういうのがわかりやすいのが聖地や遺跡のあるような所、神社仏閣など。
ヨーロッパにはそんな場所が多そうな気がするな。
ネットで本棚を設置できるっていうやつがあったので、作ってみた。
私の本棚はココ。
でもあれだね。私の本棚はおよそ本好きな人の本棚ではないわな。
読書量が少ないのではるか昔に読んだ本まで持ってこないと成り立たないし(笑)、いわゆる文学作品と呼ばれるものが少ない。
でも今生ではそういうのに興味ないんだよね。
本だけじゃなく、昔から私はTVドラマにあまり興味がなかった。これも同じような理由かな。
要はつくられたものに感情を移入するのがむずかしい体質なのだと思う。
私がほしいのは真実だけ。なので「つくられたもの」という時点で興味が薄まるんだわね。
あ~、だけど大好きなお芝居は全部つくられたものか。あと映画もつくられたものだわね。どこがどう違うんだろう。
ま、いいや。 私にとって価値があるのは疑似体験ではなく、自分の体験。
本の向こう側にある真実、あるいは真実だと自分が感じ取れるものが大切なのだ。そこだけに焦点を当ててきたような気がする。
いいも悪いもなく、私の性質がこんな風ってことなんだろうな。
本棚って、その人の想いが選ぶ本が集まったもの。
だから本棚は限りなく「その人」っぽい。
私の本棚も限りなく私っぽいのだろう。
ジョナサン・コット
やっぱりそうなんだろう。
なんかはっきりしてきたぞ、なにかがね!
他の本は全部読んだ本なんだけどね。
やっぱりそうなんだよ。
魂のたどってきた道を私たちは忘れてるだけなのさ。