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昨日は渋谷で勘三郎主演のコクーン歌舞伎を観てきた。
「佐倉義民傳(さくらぎみんでん)」という、千葉の佐倉が舞台の、領主の取り立てにあえぐ農民たちと
その農民たちを救うために命をかけた名主(なぬし)のお話である。
演出は串田和美。ラップが散りばめられていて、これは賛否両論あるのだが、私は「有りでしょう!」と思った。
たたみかけるようなリズムと歌詞は、祭りごと(政治)の不条理を「許すな」「考えろ」と
劇中の者だけでなく
観ている私たちをもあおる。
そう、祭りごとの世界は、今の時代においても不条理なことが多すぎる。
1日たった今日の朝、宮崎の知り合いから悲しい電話がかかってきた。
私が子どものころから家族ぐるみで親しく付き合ってきたKさん(5年前に他界)の一人息子のT君が
今朝がた心筋梗塞で亡くなったという。まだ40代半ばである。
T君は県の職員で、今回の口蹄疫のことでは連日朝早くから夜遅くまで過酷な労働が続いていたそうなので
その過労が引き金になったに違いない。
T君にはまだ幼い子供が2人、奥さんのお腹には3人目もいるそうだ。そして80代の母親が
残ってしまった。なんということ。
今回の口蹄疫の件では最初に報道されてから胸を痛める日が続いていた。初期始動が遅れた理由は
明らかなのに政府は認めない。正しく報道されない、あるいは誘導するような報道をする、原因の解明をしない、
など、政府とマスコミの気持ちの悪い冷淡な対応に憤りを覚えていた。
これは対岸の火事ではない。現実に日本で起こっている、間違いなく今後、ほかのことにも通じるであろう、
国のありかたそのものの気持ち悪さなのだ。
と思っていたら、数日前、久しぶりに覗いた泉谷さんのブログで感激した。泉谷さん、こんなふうに
スパーッと言いきってくれて、もしや宮崎出身なのかと思ったら、青森の出身なのね。
ありがたい。
それから盛岡の友人F。彼女の友達が立候補したそうである。
祭りごとには国を守ろうとする美しい魂が必要だ。魂の政治がなければ国はこわれてしまう。
昨日のラップがまだ頭で聞こえている。
そして私は明日から義妹とふたりでT君とお別れをしに行ってきます。
久々のポッチリもよろしく!
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ありがとう!
悲しいお別れがあったのですね。
よりによって小さなお子さんと奥様のお腹に赤ちゃんまでいらっしゃる方が・・・本当に言葉もありません。
心からご冥福をお祈りします。
この世は何が起こるかわからないということよね。
もちろん奥様もかわいそうだけれど、ひとり息子さんを
先に亡くされたのも辛すぎる。
でも仕方がないのね。
去年の今ごろ、あなたがKさんのことで色々考えたように
私も色々考えてしまうわ。
わが身に置き換えると、容易にその悲しみ・つらさが想像できるわ。
でも本当に、どんなことがあっても結局、生きている人間は受け入れるしかないのね。
そして死ぬ日が来るまで生きていく以外にない。
最近、そんなことを強く強く思います。
さらに悲しいことには、去年あれほど悲しんだKさんの死を、私は最近、あまり思い出さなくなってきました。
母がいなくなったということもあるけれども。。。
生きていくってこういうことなんだわね。。。。
私たちには自分の運命も人の運命も受け入れるしかないわけで。
こんな風に人の死に接すると自分が死ぬことをよく考えるよ。
自分が死んだあとに嘆き悲しまれなかったら寂しいだろうけど
異様に嘆き悲しまれて、しかもいつまでも嘆き悲しまれるのも
居心地悪いだろうな、と。
なぜならいざ死ぬ段になったら当の私は案外あっさりと
自分の死を受け入れるだろうと想像できるからね。
だから人の死もお疲れ様、で見送りたい気持ちはあるかな。
ただ年の順番が違うと辛いけどね。それと身内だと
その距離感からまた話は違ってくるよ。
失くすかもしれない恐怖は失くしてしまった恐怖より
たちが悪く怖ろしいものだよ。
時間だけは味方だね、受け入れるしかできない私たちにとってはさ。