VIVIEN住生活総研

住生活ジャーナリストVivienこと藤井繁子が、公私を交えて住まいや暮らしの情報をお届けします!

葉山別荘ツアー

2006年10月18日 | 湘南・逗子の暮らし
知人が活動しているNPO【葉山環境文化デザイン集団】が歴史的景観保存の為に
明治中期~昭和初期に建てられた葉山の別荘を巡るツアーを実施しており、一度参加したいと思って本日実現した!
 
    ※仕事でお付き合いのある業界関係者と参加!   手作りの地図&解説書、中々貴重な記録。
朝、10:00に葉山御用邸前に集合。
そこで、NPOのガイドである杉浦氏(建築家、丹下事務所にも居たらしい!?)と落ち合う。

国鉄:横須賀線「逗子」駅が明治22年に開通し、27年に御用邸が開邸した事で葉山の別荘ブームが始まったとの事。
昭和10年の最盛期には、宮家から明治政府の重鎮達、新興資産家など約500棟の別荘があったという。

約2時間半かけて徒歩で回れる範囲の旧別荘を、今日は遠目に見たものも含め6軒探索した。
まず、日本料理「音羽楼」として営業している旧玉塚別荘(証券会社創始者)。昭和2年建築の別荘である。
風情ある門構えをくぐり和のアプローチ(杉浦氏のガイドに聞き入る) 高床の平屋、二重の屋根が美しい。 
  
中は一本杉の梁が通った大広間や、欄間や床が美しい純和室。 洋室のサロンには木の飾り窓枠や唐草模様のすりガラス、Artな空間。


このNPO事務所になっている旧中西別荘(ブルーミング中西葉山寮、‘粋’に遊んだ建築)。 散策中、白鷺がお出迎え。 あれに見えるはF.L.ライトの弟子‘遠藤新’作の加治別荘(非公開)

次は、旧伊藤別荘(一日一客しか取らないお料理屋「本ふじ」として創建者のお孫さんが経営)

建築に3年を費やし当時の最高の材、技を要求し、職人を建築物見学旅行に連れまわしたらしい。 本格和室は茶室であり、裏に素敵な水屋もある。
一時、米軍に接収されアメリカ軍人が住んでいたので「戻ってきた時は酷い状態で涙した」と女将の話に当時を偲ぶ。

このツアー、日本料理かフレンチのランチが付いて5000円也!
私達は先に見た「音羽楼」にて日本料理を頂いた。 まつたけご飯やデザートまで付いて満足。
 
写真右の洋館は、旧斉藤別邸(現畑中邸、非公開)。英国をモデルに昭和3年に清水組(現清水建設)が建築。
ちなみに、当時の金持ちの自邸(都内)は洋館が主流で、別荘は日本建築で外国の客をもてなすような傾向があったらしい。

ガイドの杉浦氏に色んな事を教えて頂いたが、私が心に残ったのは
「建築は手間と思いをかけたものしか残らない。性能が良いだけでは、その時代時代の技術進化で壊されてゆく」
「施主と職人が、“情熱”や“希望”を持って建てた家は、竣工した時から価値が高まってゆく。
 今の効率重視の建築は、竣工した時から価値が下がっていくだけ。」

“情熱と希望”、それを職人と分かち合える施主。 すごく良く分かるし、憧れる・・・
昔の金持ちは心意気があって、その夢も人間のスケールもかなり大きかったみたいだ。