迦羅求羅虫

小さな寺の日々の出来事

数字が示すもの

2011-05-03 11:37:38 | 3.11
連休に入り各県の被災地では、大勢のボランティアの皆さんが、
大活躍して下さっていることでしょう。
おそらく、福島県でも、北と南の津波被害の片付けのために、
多くの人が泥だらけになってがんばっておられることと思います。
ことに今、この福島に県外から志願して来て下さる方々には、
本当に頭が下がります。
ただただ感謝です。

さて、原発事故の結果大量の放射性物質が飛散してしまったわけですが、
その影響が様々な形で表れています。
どの問題に目を向けても心配なことばかりです。
いわき市において言えば、そういう心配、不安はそれぞれ抱えつつも
ふつうの日常生活がスタートしています。
しないよりは、してたほうがいいのかな、という程度の信頼性しかないマスクも、
今じゃつけていない人の方が多いし。
私は出来る限りマスク装着派ですが、いつもいつもって訳じゃないです。

この前、枝野さんが視察でつけてたのとおんなじマスクを注文してみました。
高かったので、イザというときのためですが、
すでに最初のイザは起きてしまいました。
次のイザは、決定的なイザですね。
そしてその決定的なイザに飲むらしいヨウ素剤は、40歳以下だけです。
赤ちゃん用もありますよ。

震災後、毎朝目を覚ますと同時にやることがあります。
枕元に置いた携帯電話で、そのときの県内各地の放射線のモニタリングをチェック。
これは1時間おきに更新されるので、一日何度も確認しています。
福島県のテレビでは、どの局でも、震災情報とともに、
この放射線数値情報が画面に流れてるんですよ。
知ってます?
他の県ではないのかしらん。

現在のいわき(測定場所・平地区の街中にある県合同庁舎駐車場)は、
14時現在、0.26マイクロシーベルト。
ここ数日はこの前後を推移しています。
まあ、微減といえばそういえますね。
通常が、0.04~0.06ということですから、ほぼ4、5倍というところでしょうか。
もちろん同じいわき市でも測定条件によって、上下に差が出るのは当然です。
県内では、比較的原発から遠い福島市や郡山市など、中通り地方のほうが、
いわき市や南相馬市などより数値がやや高いのは、なぜだろうと思っていました。

3月11日の地震後、最初の水素爆発の起きた12日からのモニタリングの数値を、
福島(北西約63キロ)、南相馬(北約23キロ)、いわき(南南西約43キロ)の3つでたどってみます。


●11日…14時46分 大地震発生/15時41分津波襲来により原発の電源ストップ
     「原子力緊急事態宣言」夜には周辺住民に避難が呼びかけられる


●12日…避難区域が20キロに広がる
    15時36分 1号機原子炉建屋で水素爆発が発生

    南相馬17時46分→0.80マイクロシーベルト/時間
       20時   17.08(恐ろしい数値に跳ね上がる)
       21時   20.00(相馬地域ではここあたりが一番高かった)
       22時   12.00
       22時58分  8.33
    福島、いわきの記録無し

●13日
    南相馬 終日 3.5~4.2ぐらいを推移(12日の影響が残っている)
    福島  終日 0.04~0.05(通常値)
    いわき 終日 0.07~0.08(通常より0.02ほど高めか)

●14日…11時01分 3号機原子炉建屋で水素爆発が発生
    南相馬 12時30分 3.39(この日の最高値徐々に微減)
    福島   12時   0.05(ほぼ平常値)
         22時   1.00((上昇傾向)
    いわき 終日   0.07~0.10を推移

●15日…午前0時 2号機の格納容器内の圧力を低下させるため初のドライベント
    9時38分 4号機の使用済み燃料プールで火災が発生

    南相馬 終日   2.50前後を推移
    福島  0時  0.09
        12時  0.06
        17時  20.26(午後4時ごろから急に上昇する)
        18時40分 24.24(最大値・この後数日20.00台から徐々に低下するものの高数値を維持)
    いわき 1時  4.22(前夜11時には0,08だったのに)
        2時 18.04(一挙に上昇)
        3時 13.28
        4時 23.72(最高値)
        5時  9.57
        8時  2.77(この後徐々に下降 福島の高数値維持と対照的)
        18時  1.32 

●5月3日…南相馬 0.51/ 福島 1.55 / いわき 0.26



単純に数値だけで見ると、距離の遠近は(もちろん重要だけれど)今回の場合、
あまり意味をなさなかった面があるような気がします。
15日、いわきでは屋内に退避するようパトカーなどが市内を触れまわり、
危機感が強まったため、多くの人が市外、県外に脱出しました。
後でいろいろな人に聞きましたが、おそらく脱出のピークは
この日だったのではないでしょうか。

もちろん避難出来ない人、しない人が殆どだったと思います。
ましてや各避難所には、原発立地地区、隣接地区からの避難者、
津波被害を受けた人たちなどが大勢いました。
なのに、いわき市はまるで世間から隔離された街のようになり、
残った市民は筆舌に尽くしがたいほど困難な状況に陥いったのです。
外部からの救いの手はありませんでした。

避難した人の中には、郡山や福島などの内陸部に向かった人もたくさんいました。
でも15日の午後6時の数字を見て下さい。
実際は、いわきよりも福島の方が危険な数値だったのです。
いわきだけでなく、福島や郡山も避難すべきほどの数値でした。
ましてや、今回計画的避難区域となった飯館や川俣の一部地域の数値は
どれほどだったのか・・・。

こういうことをどれほどの人が認識していたのでしょう。
距離だけでどこか安心していた福島の人も
けっこういたのではないでしょうか。

北よりの風はいわき方面に放射能を降らせはしましたが、
その後の海側から吹く風は、浪江から飯館を通り抜け、
その先の福島盆地に滞留し、さらには、吾妻山系と阿武隈山地の合間を通って
郡山の方まで達したのではないか・・・。
飯館村には冷害をもたらす「やませ」という海風が吹くことが知られています。
15日の福島県は、日中、北東、東北東の風でした。
しかも、いわき地方以外は雨雲が覆っていました。
そういう気候と地形の影響が、後まで尾を引いているのでしょう。

15日、私たちは札幌に帰る次男夫婦を福島空港まで送るため、
午前中に車で出発しました。
そのまま、私は大阪へ。
だから、福島市など数値の高かった地域で、
避難を呼びかける動きがあったのかどうかわかりません。
今、学校のグランドや、下水処理施設の汚泥の問題が表面化してきましたが、
すでに予測がついたことではないでしょうか。

情報を得るすべが無いということは、悲しい。
知ることは怖いけれど、
自分の理解できる範囲のことは承知していたいと思うのです。

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