迦羅求羅虫

小さな寺の日々の出来事

風化って

2013-03-12 14:30:15 | 3.11
あの3.11から2年。

テレビも新聞も特集を組んで大きく震災後の被災地を、

被災した人々をとりあげていた。


この2年、本当に大変だったことと思う。

過酷な現実と向き合いながらも

前向きに生きてこられた方には本当に頭が下がる。

その一方で、

生きる方向を見失い、乗り越える力も尽きて、

自ら人生の幕を閉じられた方も大勢いらっしゃる。

とてもせつない話だ。



今回は、メディアのさまざまな場面で、

「風化」という言葉をたくさん聞いたような気がする。

なんだかメディアが殊更に連呼しているような印象さえあった。

風化って、だれがどういうところに立って言っているんだろう。

日々を必死で生きていれば、たとえ被災者だって

24時間震災のことを考え続けているなんて出来ない。

まして、被災地外の人たちならなおさらだ。

義捐金だってそうそう続くものではない。

そんなことはわかっているよ。

風化ってそういうことをいうんだろうか。



「風化していると思いますか?」

というメディア側の質問は、

逆に、

東日本大震災、福島原発事故はすでに風化している

という自らの結論を

視聴者に押しつけているようにさえ聞こえる。



自坊の3月11日は、

午後からお彼岸前の仏具磨き。

つくりんも張りきってお手伝い。




14時46分に、勿忘の鐘を撞きました。



そのあと、本堂で震災で亡くなられた方々の

三回忌法要を勤めました。







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