迦羅求羅虫

小さな寺の日々の出来事

被災地レポート

2011-03-24 09:21:26 | Weblog
宮城県の被災地に行った息子からのメールです。



昨日は、牡鹿半島にある老人ホームが電気、水、ガスが無くて、周りから孤立していて食料も足りないという情報が入り、届けに行ってきた。

孤立しているというだけあって、そこに至る道はひどかった。
道路は陥没し、橋は落ち、船が道を塞ぐ。通行止めの道をいくつか強行突破してたどり着いた半島にある集落は、ほぼ全滅してました。まだ、遺体の収拾作業の最中で瓦礫の中を捜索している横を抜け、老人ホームへ。
物資を届け、帰り道にまた無惨に破壊された集落にさしかかる。
津波の被害を既に嫌という程見てきたのに、ついさっき見たはずの景色でさえ、再び目にすると、胸が詰まる。
何度見ても、慣れない

天気が良く、暖かくて気持ち良い日に、世界はこんなにも美しくて、それなのに現実はとてもとても厳しくて、それでもみんな必死に生きていて。

失われた街を見るたびに、言葉では表せない喪失感のようなものを感じます。
それでも、物資を届けた時の喜んだ顔、様々なものを失って尚、生きようとする姿に、自分まで前を向かせられているように感じる。


世界は、とっても美しいなぁと。瓦礫だらけで、泥だらけの避難所で炊き出しをしている人達、それを食べている人達の姿は、生きていく人の姿は、とても美しかったです。


全国から今被災地では、何が欲しいの?送るよ!という声が届く。だけど、被災地のニーズは刻一刻と変化していて、本当に早い。必要な物を聞いて、それから会議して、京都に要請して、次に本山から送るトラックに載せる。
これでは遅くて、情報も、錯綜してる。
ある人は、物が足りなく危険だと言い、違う人があそこは十分物があると言う。どちらも嘘ではなく、数日前の話か昨日の話かで違う。
物が足りないと聞いたんだけど、という情報には、何時の時点での情報かをはっきりさせなきゃいけない。

避難所の方から、これが一番欲しいんですけど、と言われても、在庫が無くて届けられないもどかしさを何度も感じてる。

情報が入ったら、すぐに調達して、判断を仰がずに向かえたらなぁと。でも今は足がなく、本山が用意した車、物資を使わせてもらわねば何も出来なくて、そうなると一存では動けず。

でも、その中で少しでも効果的に動くコツがわかってきた気がします。


今、避難所にお風呂を作って入ってもらうという非常にシンプルなプロジェクトを考えています。
実現可能な方法や、運搬方法など、アイディアがもしあれば下さい。
現時点では、ドラム缶風呂が有力です。

それでは、いってきまーす。

震災は続いています

2011-03-24 01:10:49 | Weblog
一人自坊で暮らす住職。訪ねてくる門徒さんの対応の他に、近隣の避難所を回って、手持ちの物資や、ようやく開き始まったホームセンターなどで仕入れたものを差し入れしているそうです。
歯ブラシやシャンプーやちょっとした薬など。
でも、お店が開いたとしても品物の種類も数も少なく、なかなか希望どおりに届けてあげられないと言っていました。

避難所を回るにはガソリンが必要です。
開いている給油所はどこも長蛇の列。余りの時間のかかりように、今日は挫折したそうですが、明日はまた並ばなくてはならないでしょうね。

一方息子は、支援物資を届けに、昨日は相馬、そして今日は石巻へ行ったようです。
被災地はどこを切り取っても、悲嘆の風景が広がっています。

住職も息子も、今できることをそれぞれやっています。

地震の起きるまでのあの日々が当たり前のものだと、それはいつまでも続くのだと、私は思っていました。

でも、そんな自分にとって都合のよい当たり前などない。
いつ何が起こるかわからない、そういう生を生きているこの事実こそが、当たり前なのでしょうね。

亡くなられていった多くの人、家を失い家族を失い、仕事を失い、故郷を失い、海にも空にも地面にも放射能が撒き散らされ、それでも私の生きる場所はこの世界しかない、いやこの世界を私のものとして、生きていこうと思っています。