コミセンでのモーニング・セットを楽しんだ後、お正月運動不足解消に出発。
頭の写真:「長田さん」(神社)へ初詣。
地モピーだったO原氏に「ところで、ここなんの神さんやったっけ?」
「う~ん、ようわからん・・」と。
かと言って「生田さん」(かつて藤原紀香が結婚式をあげた神社)の神さんを僕が知っているわけでもなく・・
共に神戸三大初詣神社の二つなんですが・・・
ま~、一般人の認識はこんなもんですかぁ~
長田商店街の途中を"湊川"(明治時代に付け替え工事をしたので、正式には"新湊川")が横切ってるので、そこから川沿いに上流へ。
明治時代の工事で湊川の流れを西に曲げ、小高い山の下は日本初の河川トンネルを掘り、西の苅藻川に合流させたのでありま~す。
小高い山="会下山"(えげやま)の西側、河川トンネルの出口
上流へと言ったからには山越え! 山頂は"会下山公園"になってます。
公園に着きました。川の流れ延長上に新長田駅付近が見えます
公園に「海員萬霊塔」
昭和5年竣工。文字は東郷平八郎元帥が書いたもの。
「本邦海運ヲシテ世界ノ第三位ニ昇ラシメタル・・」
海運の発展に尽くし、亡くなったすべての船員の霊を供養するための碑で、
濱田国太郎が行政と地元業者などから寄付を集め尽力した云々と。寄付に神戸ゆかりの松方幸次郎の名前もありました。
公園に「大楠公湊川陣之遺蹟」
こちらも同じく昭和5年竣工で、文字はやはり東郷平八郎元帥が書いたもの。
建立は「帝國在郷軍人 神戸国光會」
南北朝時代に後醍醐天皇についた楠木正成が「湊川の合戦」で会下山に陣を置き、多勢に無勢の戦いの結果、この場で自害。
ついでの話・・
武士が権力を持つ時代に天皇に忠誠を尽くして死んだ楠木正成は長らく"悪者"扱いでしたが、江戸時代に水戸黄門が彼を再評価し、明治5年には天皇によって"湊川神社"が作られ、神さんとなり「大楠公」という呼び名になって祀られた。
湊川神社、神戸市民には「楠公さん」と呼ばれてます。
そして、これにて神戸三大初詣神社の勢ぞろいとなるのです。 長田さん、生田さん、楠公さん。
ところで二つとも碑が昭和5年に東郷平八郎の書いた字で・・なんで~?
この時代の進んでいた方向が・・は、深読みしすぎかな~。。
会下山の東側には"湊川隧道"の入り口
明治にできた河川トンネルは"湊川隧道"の名で保存され、見学会やコンサートまでも。
今はバイパスの新トンネルに川の水が流れてます。ただし、山の中のことで見えません。入口と出口の場所は以前と変わらず。
横を通過するは"神戸電鉄"
川は上流で分かれて・・石井川の方へ~
もう山の中の雰囲気。橋と思って上がったら・・
"水道橋"のようでした。
通れずにまた降りました。トホホッ・・
このままどこへ行くのでしょう?
次回のお楽しみ。。。
頭の写真:「長田さん」(神社)へ初詣。
地モピーだったO原氏に「ところで、ここなんの神さんやったっけ?」
「う~ん、ようわからん・・」と。
かと言って「生田さん」(かつて藤原紀香が結婚式をあげた神社)の神さんを僕が知っているわけでもなく・・
共に神戸三大初詣神社の二つなんですが・・・
ま~、一般人の認識はこんなもんですかぁ~
長田商店街の途中を"湊川"(明治時代に付け替え工事をしたので、正式には"新湊川")が横切ってるので、そこから川沿いに上流へ。
明治時代の工事で湊川の流れを西に曲げ、小高い山の下は日本初の河川トンネルを掘り、西の苅藻川に合流させたのでありま~す。
小高い山="会下山"(えげやま)の西側、河川トンネルの出口
上流へと言ったからには山越え! 山頂は"会下山公園"になってます。
公園に着きました。川の流れ延長上に新長田駅付近が見えます
公園に「海員萬霊塔」
昭和5年竣工。文字は東郷平八郎元帥が書いたもの。
「本邦海運ヲシテ世界ノ第三位ニ昇ラシメタル・・」
海運の発展に尽くし、亡くなったすべての船員の霊を供養するための碑で、
濱田国太郎が行政と地元業者などから寄付を集め尽力した云々と。寄付に神戸ゆかりの松方幸次郎の名前もありました。
公園に「大楠公湊川陣之遺蹟」
こちらも同じく昭和5年竣工で、文字はやはり東郷平八郎元帥が書いたもの。
建立は「帝國在郷軍人 神戸国光會」
南北朝時代に後醍醐天皇についた楠木正成が「湊川の合戦」で会下山に陣を置き、多勢に無勢の戦いの結果、この場で自害。
ついでの話・・
武士が権力を持つ時代に天皇に忠誠を尽くして死んだ楠木正成は長らく"悪者"扱いでしたが、江戸時代に水戸黄門が彼を再評価し、明治5年には天皇によって"湊川神社"が作られ、神さんとなり「大楠公」という呼び名になって祀られた。
湊川神社、神戸市民には「楠公さん」と呼ばれてます。
そして、これにて神戸三大初詣神社の勢ぞろいとなるのです。 長田さん、生田さん、楠公さん。
ところで二つとも碑が昭和5年に東郷平八郎の書いた字で・・なんで~?
この時代の進んでいた方向が・・は、深読みしすぎかな~。。
会下山の東側には"湊川隧道"の入り口
明治にできた河川トンネルは"湊川隧道"の名で保存され、見学会やコンサートまでも。
今はバイパスの新トンネルに川の水が流れてます。ただし、山の中のことで見えません。入口と出口の場所は以前と変わらず。
横を通過するは"神戸電鉄"
川は上流で分かれて・・石井川の方へ~
もう山の中の雰囲気。橋と思って上がったら・・
"水道橋"のようでした。
通れずにまた降りました。トホホッ・・
このままどこへ行くのでしょう?
次回のお楽しみ。。。
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