virtual"the elf"

神戸の舞子,海岸近くのelf。'04幕を下ろし、その秋仮想空間にてゾンビのごとく甦る。マスター谷口の世界へ酔うこそ!

ジョセフ彦 って知ってる?

2016-02-22 20:22:05 | 遊歩・KOBE(神戸ガイド)
写真は
昭和10年に建てられた 神戸市中央区中山手にある「ジョセフヒコ氏居址」碑。
今はマンションの敷地内のようで、植え込みの中にありました。



僕が最初にジョセフ彦の名前を知ったのは5年ほど前。
兵庫区の能福寺にある日本初の「英文碑」の解説板に彼の名前が。
兵庫大仏を見物に来る外国人にもお寺の由来が解るようにと住職がジョセフ彦に頼んで
作ったとのことでした。
ジョセフ彦って、だ~れ?と思っていましたが、
出身地の播磨町では住民皆が知っている超有名人やで~と聞いたので、
へ~っ、そうなん?と播磨町の郷土資料館に行ってもみました。
結果・・なるほどの有名人でした。

ジョセフ彦の出身は明石市の西隣、兵庫県加古郡播磨町。
少年のとき、船で江戸見物に行った帰りに遭難し、17人がアメリカの商船に助けられました。
アメリカで過ごしてカソリックの洗礼を受け、アメリカ国籍を取得したのち日本へ帰ってきて、
幕末に駐日公使ハリスの英語通訳として日米外交交渉で活躍したり、
日本初の新聞を横浜で発刊して「新聞の父」とも呼ばれています。
そうそう造幣局の設立時にも設備を香港の造幣局から譲り受ける交渉でも活躍したそうです。

能福寺が菩提寺だった北風正造の顕彰碑が英文碑と並んであります。
北風家は江戸時代、今の兵庫の港「兵庫津」で廻船業を営んでおり
有名な豪商。
ジョセフ彦が明治時代に神戸に住んでいたときに北風家のお茶の貿易事業に
力を貸したとのことで、能福寺の英文碑につながったようですね。

横浜の中華街にジョセフ彦の碑がありますが、
神戸にもジョセフ彦の碑があるのですのお話でした。

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