virtual"the elf"

神戸の舞子,海岸近くのelf。'04幕を下ろし、その秋仮想空間にてゾンビのごとく甦る。マスター谷口の世界へ酔うこそ!

幻の「徳川道」歩き 杣谷

2018-05-08 18:43:11 | 遊歩・KOBE(神戸ガイド)
摩耶山の東、杣谷(そまだに)を通る徳川道

(杣ソマ:昔の林業がらみの言葉。木を伐り出す山、そこから伐り出した木、木こりなど)

頭の写真:その昔、"沓掛"(くつかけ)とよばれた場所は川沿いに続く狭い岩場道で、
通るときは牛・馬が滑って転ばないようにワラのくつを履かせたのが名前の由来。
ここを安全に通りやすくするのが徳川道の難工事=「大岩切取五十一間、平均高五間、横三間」。
距離92m、平均高さ9m、横幅は5.4m(三間)予定だったのが、実際は3.6m(二間)に。
1.8m(一間分)だけでも岩の削り取り拡幅工事は大変だったでしょうね。
工事期間が短かったこともあるでしょうし。
延々と続く削り取られた岩肌を見ながら、遥か下なんだろうなぁの川の流れを
聞きながらの歩きはリアルに難工事を感じます。
藤の花が咲いてます、キレイ!
でも、上見てると転びま~す

 水辺で休憩 涼しいです!

 イトトンボがやって来ました
少し飛んでは、またこの葉っぱにとまってを繰り返して・・
飛んでいるときは翅が玉虫色というか、虹色というか、輝いて綺麗でした。

 これぞ新緑!キレイ!

 登りの到着、杣谷峠の少し下に
こんなユーモラスな岩が。癒されますねぇ。

 新在家駅スタート、石屋川経由で7時間
本日のお疲れさん!は布引の滝「おんたき茶屋」で・・
雄滝に負けじと胃袋に瀑布流し込みました。

幻の「徳川道」歩きについては
遊歩KOBE 2018イベント 幻の「徳川道」歩き をご覧ください。

遊歩KOBE イベント  幻の「徳川道」歩き

2018-04-12 15:54:12 | 遊歩・KOBE(神戸ガイド)
時は江戸幕末・・ペリーが浦賀にやって来て開港を迫りました
やがて幕府は五港の開港と江戸・大坂の開市を約束します

すったもんだの結果、大阪・堺の代わりに神戸港の開港が決定。
神戸開港専任者は柴田剛中。
神奈川(横浜)開港時の諸外国との交渉、文久遣欧使節の組頭などの経験をなど経ての任命でした。
彼は神戸開港に関して「伺書」を提出しています。

運上所(今の税関)、旅籠屋、屠牛場、遊女屋などの建築と共に
神戸においては西国街道の付替道をつくるよう提言しています。
神戸より9年先に開港した横浜近くで、開港3年後に起きた"生麦事件"の懸念があったからです。

横浜の近くで東海道を通っていた島津久光の列に居留のイギリス人達が騎乗のまま入り込み、
殺傷事件が起きました。これが生麦事件。
これだけでは済みませんでした。怒ったイギリスは薩摩に軍艦を送り、こんどは薩摩藩と砲撃戦。
薩英戦争が起きたのです。

神戸では建設予定の外国人居留地に接して西国街道が通っており、大名行列もそこを通ります。
異文化がぶつかる危険は横浜どころではありません!

西国街道の付替道、正式には「西国往還付替道」。
今の神戸市内でいえば、東灘区の石屋川東岸~明石市の大蔵谷までのあいだ
西国街道から離れて、六甲山中を通るバイパスです。

そこを通れば、居留地を出入りする外国人とそうは遭遇しないだろうというもの。

開港まであと一か月という期間に、もとからあった山道も利用して整備して、拡幅工事も行っての大工事。
48もの村の人々が作りあげたのです。

にもかかわらず、横浜に続いて・・「神戸事件」が起きてしまいました。


そんなお話もしながら、幻となってしまった「徳川道」をご一緒に歩いてみませんか?
2018「遊歩KOBE」のイベント
幻の「徳川道」歩き
クリックして、ご覧下さい。

参加費:おひとり500円
「徳川道」全コースを4回に分けて歩きます。

頭の写真:「徳川道」東の起点、石屋川公園

西国街道歩き(須磨まで)

2016-05-02 17:29:31 | 遊歩・KOBE(神戸ガイド)
頭の写真:須磨浦公園の西端にある「敦盛塚」
      源平合戦一ノ谷の戦いで熊谷真実に殺された少年、平敦盛の塚と言われてます・・

JR朝霧駅から須磨駅まで、ほぼ国道2号線を歩きました。

以前住んでいた西舞子1丁目の旧街道はチャリでたまに通るくらいなので、久々に歩くと・・
「あっ、ここの家建てなおした!」「ここの家は無くなった!」なんてローカル会話をしまいました。
知らなかったのですが、1丁目のつい近所に以前住んでいた方が参加されていたのです。

垂水~塩屋、風情あるコンクリート柵・・
柵から右は昔は海岸だったんですよ~
よって、柵のように見えますが、海岸を埋め立てたので防波堤の上部が出てるだけ。

夕方国道2号線を車で帰ると、塩屋~垂水のあいだはほんと海沿いで、
建物がなくて、夕暮れが綺麗かった印象がありますねぇ・・

須磨浦公園の西にある「境川」(界川)。
播磨国(左=西)と 摂津の国(右=東)を分ける境の川。
摂津国は大阪~須磨・鉢伏山の西の川までで"首都圏"!
川から西は山陽道・播磨国で"田舎"ですわ。

京都から遠く離れた須磨は首都圏の端っこ、首都圏の隅(すみ)。
これが"須磨"(すま)の語源とか。。

在原行平がわび住まいをした、
紫式部作の「源氏物語」で光源氏が一時住んだ、
「平家物語」の"一ノ谷の合戦"があった、
数々の歌に詠まれた・・

昔々から"須磨"はいろんなものに登場します。

江戸時代、松尾芭蕉が憧れの憧れの須磨にやってきたときには、
須磨の名所を巡り、源義経をまねて地元の少年に案内させて
一ノ谷の上の鉄拐山(鉄拐峯)にも登りました。

「かたつむり 角(つの)ふりわけよ 須磨明石」松尾芭蕉
(カタツムリさんよ こっちが須磨でこっちが明石やでと角で指示しなさいよ)

須磨駅に着いて、近くのお店でハモの天ぷらと細巻き鮨を買って、
ビールをお供に「おつかれさ~ん!」
 ハモ天、でか~い!
「かったばかり ハモ箸わけよ 君あたし」ガイド谷口
(買ったばかりのハモ天は 二人で分け分けです)

 いいお天気でした



神戸「西国街道」歩き

2016-04-19 07:15:56 | 遊歩・KOBE(神戸ガイド)
遊歩KOBE 2016年 春イベント  神戸「西国街道」歩き を企画しました。

西国街道は、古代には山陽道といわれ、都と九州の大宰府とを結ぶ幹線道路として発展してきました。
その後近世には、畿内と西国(九州の小倉)を結ぶ道「西国街道」としてにぎわいを見せました。
海と六甲山系に挟まれた神戸は今の市街地の西端から東端まで「西国街道」が通っており、
その道筋と各地の名所が江戸時代の旅行ガイドブック「摂津名所図会」「播州名所巡覧図絵」などにも描かれています。
今回、神戸「西国街道歩き」では新旧の名所巡りと寄り道を楽しみながら、
西端「JR朝霧駅」から東端「JR甲南山手駅」までの間を分けて歩きます。
期間は4月下旬~7月上旬です。

各回共 ・集合時間 9:30(集合と解散は各JR駅にて)  ・歩き時間 3時間前後
・募集定員 8名ほど   ・参加費 お一人 500円 ( 雨天・悪天候の場合は順延 )

前半3回(神戸市内の西側)のオススメ
・舞子~須磨:住民でも「へ~っ、そ~なん?!」ってネタが垂れ水のごとく~!
・須磨~兵庫:畿内の端っこには歴史あり!芭蕉もあこがれた須磨の月!イロイロおますねん! 
・兵庫~三宮:平安時代の幻の都、幕末の神戸港開港、居留地とネタは山のごとく!

詳しくは
「遊歩KOBE」ホームページをぜひ、ぜひ、ご覧下さ~い。

お問い合わせ・ご予約は
 ホームページ内「お問い合わせ・ご予約のページ」からお願いいたしま~す。 

ジョセフ彦 って知ってる?

2016-02-22 20:22:05 | 遊歩・KOBE(神戸ガイド)
写真は
昭和10年に建てられた 神戸市中央区中山手にある「ジョセフヒコ氏居址」碑。
今はマンションの敷地内のようで、植え込みの中にありました。



僕が最初にジョセフ彦の名前を知ったのは5年ほど前。
兵庫区の能福寺にある日本初の「英文碑」の解説板に彼の名前が。
兵庫大仏を見物に来る外国人にもお寺の由来が解るようにと住職がジョセフ彦に頼んで
作ったとのことでした。
ジョセフ彦って、だ~れ?と思っていましたが、
出身地の播磨町では住民皆が知っている超有名人やで~と聞いたので、
へ~っ、そうなん?と播磨町の郷土資料館に行ってもみました。
結果・・なるほどの有名人でした。

ジョセフ彦の出身は明石市の西隣、兵庫県加古郡播磨町。
少年のとき、船で江戸見物に行った帰りに遭難し、17人がアメリカの商船に助けられました。
アメリカで過ごしてカソリックの洗礼を受け、アメリカ国籍を取得したのち日本へ帰ってきて、
幕末に駐日公使ハリスの英語通訳として日米外交交渉で活躍したり、
日本初の新聞を横浜で発刊して「新聞の父」とも呼ばれています。
そうそう造幣局の設立時にも設備を香港の造幣局から譲り受ける交渉でも活躍したそうです。

能福寺が菩提寺だった北風正造の顕彰碑が英文碑と並んであります。
北風家は江戸時代、今の兵庫の港「兵庫津」で廻船業を営んでおり
有名な豪商。
ジョセフ彦が明治時代に神戸に住んでいたときに北風家のお茶の貿易事業に
力を貸したとのことで、能福寺の英文碑につながったようですね。

横浜の中華街にジョセフ彦の碑がありますが、
神戸にもジョセフ彦の碑があるのですのお話でした。

神戸のガイドなら「遊歩・KOBE」

三宮に新名所?!

2015-09-06 16:00:40 | 遊歩・KOBE(神戸ガイド)
おっ、神戸・三宮に新ワインバーがOPEN?!

仕事帰りに、カベルネソーヴィニヨンのフルボディ赤ワイン。
赤・白6種類ほどがメニューにあったよう・・に思います。
いずれも100ml、200円。

渇いた体に、100mlはあっちゅう間なんで、
「すんませ~ん、ダブルでねっ!」と、写真のグラスは200ml入り。

この店のいいところは、おつまみ持ち込み可!
ただし、店内で買ったものだけね。

しかし、階下のお惣菜売り場にはワインにぴったりのんが
ぎょうさんおまして、
どれにしょ~かいなぁと迷うこと迷うこと。。

結局、ピザ風バケット一切れ200円ほどを買って、ちょこっとチン。
試食にど~ぞと、オリーブもいただいちゃって・・

ちょいと飲むにはええ所ができたやないですか!


それはどこかと尋ねたらぁ、ベンベン!
三宮駅から2分ほどの新ダイエー!

以前のダイエーとは全然雰囲気ちゃいまっせ~!
おばちゃん達の比率が減った食料品売り場になっちまった。
お気の毒だけど。。


神戸のガイドなら「遊歩・KOBE」

満よひ子のしるべ

2015-08-20 11:18:51 | 遊歩・KOBE(神戸ガイド)
正面には「満よひ子のしるべ」
左面には「たづぬる方」
右面には「志らする方」  の文字が彫られた石。

元々は神戸市兵庫区の"湊八幡神社"の外、西国街道沿いにあったものですが、
現在は神社境内にあります。

昔は付近で我が子が迷子になったら、
この石の左側「たづぬる方」面に名前・特徴・連絡先などを書いた紙を貼り、
逆に迷子を見つけた人は、右側「志らする方」面に同じように紙を貼って、
迷子情報交換拠点になっていたとのことです。
当時はこのあたりもぎわっていたのでしょうね。
頼もしい"建て石"(立て石)です。
 
全国にこのような石が点在しているようですが、
近くでは京都・新京極の"誓願寺"の門の脇にもほぼ同じ石があります。

太平洋戦争時、
昭和20年3月17日の神戸空襲(B29爆撃機 306機)で
この建て石は破損したので、再現したものと並べられています。

この日の空襲は兵庫区・林田区(現 長田区)市街地の
被害が大きかったそうです。
石が黒ずんでいるのも焼夷弾の名残り。
神社から1.5kmほど南にある「大輪田橋」なども同じように黒ずんでいます。
また大輪田橋の下には空襲犠牲者の慰霊塔があり、
兵庫区・薬仙寺では1972年以降、毎年この日に慰霊祭が開かれています。 

なお「火垂るの墓」で主人公の兄妹が家と母親をなくした空襲は
昭和20年6月7日(B29爆撃機 473機)のものです。

神戸のガイドなら「遊歩・KOBE」