四国の空と海へ

1997.5/3から 四国八十八ヶ所霊場 を巡拝させて頂いた事が
第二の人生のスタ-トに成った。

先生が学んだ桶川飛行場のこと

2012-12-10 22:24:59 | 

11/25  晴れ 0/12℃ 11.035歩 8km

高校生時代に、担任の先生から、特攻隊員だったと聞かされていた。  桶川の飛行場で、飛行の練習をした・・・桶川に住んで35年、いつかは行こうと思っていた。

今年の同級会には、先生が来られなかった・・・御歳 89歳!!!!!卆寿のお祝いだ。 今年こそ、そこを訪ねようと決めて居た。 風は強かったが、自転車で40分かった。 途中で、農作業中の方に道順を、お聞きしたら丁寧に教えてくれた。 荒川の手前の小道を、入ると「桶川飛行学校」の看板が在った。

正式には「熊谷陸軍飛行学校桶川分教場」 本部兵舎 と、言う。

左の道の先に、元飛行場らしき物が見えた?

道を進むと、守衛所らしき建物が在った・・・周りの建物の、古さにビックリした・・・昭和12.6.3 開校  75年!!!私の年齢に近い!!! 私も、この建物と同じか!!!???・・・それにしても、古い~~~。

弾薬庫

古いな~~~

分教場 配置図

守衛所の窓に掲示されていた。

時の流れの中に、沈んでいくのか・・・此処で学び、戦地へ・・・又、特攻隊として沖縄の海に散った方々の記憶も・・・

車庫

兵舎 全景

兵舎 入口

今にも崩れそうな、木造校舎・・・床はきしむ。

校舎裏を写す

学校と飛行場を画いたもの・・・真中を荒川が流れている。

先生は、この練習機で訓練したのだろうか? 赤トンボ

後ろの森は、泉福寺?

照明は、裸電球のみ・・・赤トンボが飛んだ!!!・・・床がきしむ。

色々と熱心に、案内をしてくれた天沼さん。

DVDで、ドキュメンタリー映画として放映されていた・・・元整備兵 柳内 政徳さんが説明されていた。(大正15年生まれ)

99式 襲撃機

先生?

太郎右衛門橋・・・謂れが有る橋なんだろうな~~~ 昔は、木で造られた橋・・・場所も此処に在ったか?

橋の向こうは、ホンダ飛行場

感慨深い、一時間十五分の見学であった。

この学校には、招集下士官・少年飛行兵・学徒出陣の特別操縦見習士官など、昭和20年2月の閉校までに20期余り、推定1.500---1.600名の航空兵を教育した。 38名が戦死されました。 昭和20年4月5日には、振武79特別攻撃隊12名が知覧基地に向けて出発しています。

12名の方々は、4月16日 第79 振武隊として、沖縄の海に散ったそうだ。  皆々様の、ご冥福をお祈りした。

帰路、赤い小さな実を付けた大木に出合った!!!!!

何の木? ビルの3階を越えている・・・実景は、緑が濃かった。  根元には、馬頭観世音と大猿神 ?一字忘れた・・・の、石碑が在った・・・此の木と石碑  何か謂れがありそうだ。

皆さんの写真に、私の私感を書こうと思ったが、止めにした・・・読者の皆さんは、夫々に感じ考えて頂ければ幸甚です。  

これから何人の方に、この学校の事を話し、足を運んで頂く様に努力したい。