新御徒町から合羽橋道具街
矢先神社では福禄寿をお祀りしています。寛永19(1642)年11月23日、時の三代将軍徳川家光公が国家の安泰と市民の安全祈願ならび
に武道の練成のために、江戸浅草のこの地に三十三間堂を建立しました。
三十三間堂では弓の射技練成のために「通し矢」が行われました。通し矢は先人に勝てば堂に掲額できるとあって武士としての名誉となり、
大いに流行したようです。この通し矢は江戸市民にも観覧が許され、評判を博しました。
京都の三十三間堂にならって建立されたこの堂の守護神として稲荷大明神を勧請し、その場所がちょうど的の先にあたっていたので「矢先
稲荷」と名づけられました。いまからおよそ360年前のことになります。
ご祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと) を祀りります。ご神体は上野東叡山寛永寺の祖慈眼(じげん)大師(天海大僧正)によって寄進さ
れ、「御府内寺社備考」によると「木造で翁の型をして稲を荷い、7寸8分、弘法大師作」となっています。
天正19年(1591年)馬喰町に関根卯兵衛(円了院成身日満)の開基で上行院日覚(元和8年(1622年)没、徳川家康に随伴して江戸に入府
した。)を開山として(一説に永禄元年(1558年)三河で)創建。明暦3年(1657年)明暦の大火で焼失後、現在地に移転。
明治35年(1902年)智鳳院日透が再興。
(矢先稲荷神社~本覚寺 : 東京都台東区 2012.05.11 撮影)