のぶさんの花便り

デジカメと花に夢中な《のぶさん》ですが
これからは、風景やスナップにチャレンジ

東京さわやか散歩 弐の8 ②

2020年06月07日 03時48分56秒 | 写真

三ノ輪から入谷、日暮里

 
寛永7年(1630年)、石田三成の遺子といわれる鷲山寺13世・日乾が鳥越町に開山し、寛文9年(1669年)、新吉原に近い現在地へ移転した。 
本尊は、鷲妙見大菩薩である。1265年、日蓮が上総国鷲巣(現千葉県茂原市)の小早川家(現鷲山寺)に滞在し、国家平穏を願って祈った
ところ、にわかに金星が動き出し不思議な力をもってして現れ出でたと伝わる。11月酉の日のことであった。
1771年、この鷲妙見を日玄が鷲山寺から当山へ移し祀った。当時は、本堂のほかに諸堂を配した大伽藍があり、鷲妙見が安置された番神
堂は、妙見堂、鷲大明神の社、鷲の宮とも呼ばれた。
明治初年の神仏分離令により、境内を含め寺と鷲神社に分割された。 
七曜の冠を戴き、宝剣をかざして鷲の背に立つ姿から「鷲大明神」、「おとりさま」と呼ばれ、開運招福の守り本尊として親しまれている。
とりわけ、応現の日にちなんで開催されてきた浅草「酉の市」の本尊として、江戸時代から広く振興されている。

 
西徳寺は寛永5年(1628年)、佛光寺門徒の聞法道場の一つとして江戸の金助町(現在の東京都文京区本郷付近)に建立されたと伝わる。
建立後50年の間に天和の大火など、江戸を襲った火災で焼け出されること三度、当時の住職・檀家の協議により竜泉(現在の東京都台東
区)に移転したのは天和3年(1683年)であるという[1]。 

徳川幕府時代、明治維新後も西徳寺は発展を続けたが、大正12年(1923年)の関東地震により本堂が全壊した。地震後に再建にとりかかり、
昭和5年(1930年)に鉄筋コンクリート造という、寺院建築としては画期的な形で寺院再建を果たし、現在に至る。 

        

 
鷲神社は天日鷲命(あめのひわしのみこと)日本武尊(やまとたけるのみこと)をお祀りした由緒正しい神社で、「おとりさま」の愛称で一般にも
親しまれている。
毎年11月の酉の日に開催される「酉の市(とりのいち)」は、鷲神社を起源発祥の地とし、全国各地からたくさんの人が訪れる。
境内には屋台が並び、幸せを掻き込む縁起物の熊手を求める人で賑わう。開運・商売繁昌のお守りである熊手御守は、午前零時を期して打
ち鳴らされる一番太鼓と共に授与され、一番先に熊手御守を受けた人には、「一番札」として神社の金小判が授けられる。
 
(長国寺~鷲神社  : 東京都台東区 2012.05.05 撮影)