鬱 のち 躁 …

(元)旦那の病気(双極性Ⅱ型障害)について

機会

2014年09月19日 | 日記
この家嫌です、東京行きます宣言をした彼。

聞いた最初は、怒り心頭に発するって状態で、

「自分、自分、自分、自分。

 自分さえよければ、なんでもいいのか!」

って喚き散らしたんだけど。

でも、だんだん落ち着いて考えると…。

批判覚悟で言えば、チャンスだと思った。


今までのエピソードどれをとっても、一発レッドカードの
代物だったと思う。

でも、私は何度も何度も、これが最後って言いながら、カードを
出すことができなかった。

それは、私が優柔不断だからか…。

でも娘や、彼、義父などいろんな人の思いを考えれば、
そうそう、私の気持ちだけで、事を進める決断をしきれなかった。

もしかしたら、これから先もずーっとそうかもしれない。

今から、多少の波はあっても、警察沙汰も入院沙汰もないので
あれば、貧乏は我慢してもいい。

私は平穏無事に暮らしたい。

でも、また今までのことが繰り返されたときに、私からそれを
切り出すことができるのか。

だとしたら、この彼の病気に振り回される生活を一生送らないと
いけないのか。

義両親も、高齢なためいつまでも、支援してもらえるわけじゃない。

彼を私一人で支えることが本当にできるのか。

そういう不安から、抜け出すには、これはいいチャンスなんじゃ
ないかって。


どうなんだろう。

私は、彼の病気に振り回されずに、娘と二人で平穏無事に暮らすって
ことが許されるんだろうか。

彼から言い出したことだから、もし彼に万一のことがあっても
私は後悔しないでいられるだろうか。

どこまでいい人になりたいの?って思われるかもしれないが、
私はなるたけ、自分自身のために、娘自身のために大きな後悔を
しないで、済むようにしたいのだ。

絶対に、私のせいで…って思うだろう。

でも、それをできるだけ軽減したい。

でも、それだけのために、この先あと人生の半分くらいを彼を
支え続けられるか…。


完全に迷走した。

寝ても覚めても、そのことばかり考えてた。

娘の寝顔を見ては、泣き。

早く目が覚めた朝は、海までジョギングしたりした。

自分の中にある、たくさんの感情をそぎ落とし、そぎ落とし
どれが本当で、どれが一番強いのかを見極めようと努めた。


そんな中で、1つだけ出した結論がある。

それは、今勢いだけで結論を出すのはやめようということ。


彼はたぶん今軽躁なんだろう。

躁に乗じて…なんてことはしたくない。

機が熟すまで、そう長くひっぱるつもりはないけれど、でも今
悩むことは、決して無駄にならない。

そう思って、ただ今総括中…。

迷走して、出口がどっちなのかもわからないけれど
でも、仕事をしつつ、家事をしつつ、娘の世話をしつつ
淡々と日常をこなしつつ、自分のペースで答えを絞り出そうと
している。




そこで、このブログを読んで下さる方にお願いがあります。

今回の惨事、どう思います?

私、どうしたらいいと思います?


こんな問いかけ、反則だと思うけど。

もし、ご意見聞かせていただける方はコメントを
残していだけますか。

町のあやしげな占い師さんにふらっと行きそうなくらい
弱っていることもあり、誰かに背中を押してもらいたい
気がするんです。

もちろん、ここで言われたからなんて言い訳に使う気も
ありませんし、自分の力で答えを出そうと思っています。

でも、よかったらお願いします。






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3 コメント

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時には休息を。 (あめり)
2014-09-19 15:48:02
かなり前から拝読している者です。
私自身離婚経験者で、届けに印を押したのは
今11歳の娘が生後半年の頃でした。

元夫は、幼稚園の頃に父親を急病で亡くして以来、
あと2人の兄弟とともに母の手ひとつで育てられました。

義兄はとても利口な方でアメリカ留学し、MBAを取得して
一流企業に就職し、順調に結婚してさっさと独立してしまいましたが
義母はそれが寂しかったのか、弟である元夫を大人になってからも過保護に扱い、
精神的に弱い部分があった元夫につけ込むように、共依存と言えるような関係を
理想的な親子愛だと豪語していました。

きりがなくなるのでざっくりと書きますが、
要は元夫、甲斐性がなかったのです。
妊娠して退職するまで勤務していた会社で同僚だったのですが、
上司の言うことをまったく聞かない割に仕事はまったくこなせませんでした。
(それを、ポリシーを持っていてコツコツ型と捉えていた愚かな私)

仕事人として使えない奴。
また、精神を煩って通院もしていました。
妊娠中にクビになり、その後の対応も恥ずかしくこちらに書くのをためらうほど
無様なものでした。
生活そのものが成り立たなくなり、いろいろ経て離婚となりました。

喧嘩両成敗、どちらが100%悪い訳ではないでしょう。
新妻の私にも至らない点はあったと思っています。

しかし、行政(市)の弁護士相談に2回ほど行って
見ず知らずの弁護士さんに相談してみたところ、
私の場合結婚期間が短いので慰謝料は難しいだろうが
離婚の理由にはじゅうぶん成り得るとの回答でした。

ひとりでじっくり考えてみることももちろん大切ですが、
あえて、第三者として客観的なアドバイスをくれる方に話してみられるのはいかがでしょうか?
話すことによってまた気持ちの整理もできるかもしれません。

さて私の場合、離婚に際して何が一番後ろ髪をひいたかというと、
やはり子供のことですね。
でも、父親としてだらしのない姿を見せるよりは
顔も覚えてない真っ白状態の方がまだ良かった、と今は思っています。
(子供側はどう考えているのかわかりませんが。。)

それから、私自身についても不安がありました。
まず、結婚生活を全うできなかったという無念に苛まれないか。
結婚に失敗した人間として社会からどう見られるのか。
子供が保育園や学校に通うようになったら周囲の幸せな親子関係や
夫婦関係を目の当たりにすることになる。嫉妬して苦しくならないのか。

我慢して夫婦を続けるか、相当悩み、迷いました。
でも。私の人生だからどのみち働いて苦労するなら、
バツいちなりの生活でいいから、娘と楽しく過ごしたいと思いました。
なかなか職に就けなかったり苦戦したこともありましたが、
私は娘の成長を楽しめる、ひとり占めできる、これは彼には出来ないこと。
(養育費払えない人なので面会権は与えていません)
彼に負けてなるものかという意地をバネに、ここまで来ました。
私の場合は、後悔していません。

主様がおっしゃるとおり、急いで結論を出す必要はないでしょう。
ただ、主様の人生において今何が最重要事項か、それが一番大切だと私は思います。
(見ず知らずの方に余計なお節介ですみません。
 いつも拝読していて、あまりに主様が健気で心が痛いです。。)

あまり思い詰めず、ぼちぼちやって下さいね。

返信する
選択 (よねこ)
2014-09-21 09:22:16
以前、コメントを残したよねこです。
私の場合は、息子(成人)が、双極性障害です。

本来は、一人暮らしをしても良い年齢ですが、
病気が安定しないため、安定した職業や収入が
見込めないために、同居しています。

また、貴女と同じように、今まで息子のために
投薬や生活面などに気を付けてきて、これが
1人暮らしをしたり、私が見放したら、もっと
病状が悪くなるのではないかと心配で、親離れ
子離れが出来ない状態にいます。

でも、私もいつまでも若くはなく、いずれは、息子は、
一人暮らしか、社会資源を頼って、お世話になると思うのですが、今は、私が出来ることをと思っています。

そこで、私が息子に対してやっていること、思っていることを書きたいと思います。ほとんど参考にはならないと思いますが。。。

それよりもまずは、貴女には、選択の自由があります。
自分の人生は、悩みながらも選択によって決まると
思っています。

確かに、今まで、ご主人に対して頑張ってきて、
今までやってきたことが、水の泡とか、何だったのかと思うかもしれませんが、そこに固執せずに離婚という選択もあると思います。
別れるのは辛いと思いますが、そこは、夫婦の場合と、子どもが病気の場合との違いです。

もしすぐに離婚を考えていないのであれば、
病気の理解をどのようにするかだと思います。
以下のことは、私が息子に対しての思っていることです。

病気を受け入れる。これは出来そうで出来ないです。
少しでも良くなれば、普通の生活が出来ると思いがちですが、、この病気は、完治はしないです。
完治しないと分かっていても、少しでも治して、普通の生活を期待してしまいます。
だから、患者も看護する側も辛くなってくるのです。
本当は、病気を持った人の生き方もあるはずです。
そして、それは普通の人のようには、働けないのです。
月に3・4回、1週間に2・3日間、1日に3・4時間も
働けたら、御の字です。

自分で自覚して薬を飲むようになれば、大変喜ばしいこと。

朝は、必ず、9時までには起きるようにする。二度寝、三度寝したとしても、必ず、9時までには一度起きるようにして、生活のリズムをつける。

昼間の居場所を確保する。家にいると、ダラダラするので、地域の生活支援センターのフリースペースや
病院のデイケア、図書館、喫茶店など。これも外に長時間もいると疲れるので、体調が良い時は、1、2時間でも行って、習慣化させる。

激躁、激鬱が来る兆しがあるときは、早目の通院と入院が出来るように主治医と関係を作っておく。

地域の社会資源に頼る。保健所、精神保健福祉センターや生活支援センターなどに相談する。

少しでも、出来ないことが出来たら褒める。また、目に見えるように、成果がわかるように表などを貼っておく。

こんなこと、大の大人にって思いますが、この病気は、幼稚で、オレ様な人が多いような気がします。

上手く表現できませんが、私が今、考えられることは、こんなところです。

とっても悩んでいる様子が分かります。
どうぞ、ご自分の身体を大切になさってください。






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Unknown (めい)
2014-09-21 15:23:06
私の場合は弟です。と言ってももう50歳を過ぎたおっさんですが。
「それでも姉か」と非難される事を承知でひどい事を告白します。

弟が大学生の頃、自殺未遂を図り、それからずっと今まで入退院を繰り返しています。
当初は両親とも元気でしたので、結婚を控えた姉の私に迷惑がかからないようにと、私の知らないところで色々苦労をしたようです。
医師やケースワーカーさんと話し合い、あれこれと手配をし、生活保護を受けながら一人でグループホームのようなところで暮らせるようにしたようですが、私は実際のところ、弟がどれほどの病気なのかもよく知りませんでした。

大学は何とか卒業し、2度ほど 就職もしたのですがどちらも順調なのは最初だけで、1ヶ月もすると出社できなくなり、親が会社に謝りに行き、退職したようです。
父は昔堅気の人だったので弟の病気を理解できず、怠け病だの気力の問題だなどと言っては激怒していました。
母は母で、こんな病気になって可哀想な子だと甘やかし、生活保護を受けているにもかかわらず、お金を渡し、家に帰ってくれば、これでもかとばかりにご馳走し、お客さま扱いで、弟の望む事は出来る限り叶えてやっていました。
そんな両親なので、弟は30歳を過ぎても40歳を過ぎても、家の雪かき一つ手伝った事がありません。
父親が亡くなってからはますますひどくなり、実家に帰るたび、だらしなく寝転がって、冷蔵庫の中が空になるまで食べて、あるだけの煙草をふかしていました。
盆と正月にしか帰省しない私には、とても見ていられない光景でした。
それでも母は「明日は○○ちゃんが帰って来るから」と弟の帰省を楽しみにしていました。

親が生きている間はそれでもよかったのです。
私は関東に嫁ぎ、子どもも育てあげましたが、その間、弟と会うのは年に1回か2回。
両親は私に詳しい様子を話さなかったので他人のようなものでした。
弟は結婚も出来なかったので妻子がいません。
そして父が亡くなり、母は認知症で介護施設に入所し、弟の身元引受人が私になりました。
弟が住んでいる町の福祉課から度々電話がかかってきます。
病院からも入退院のたびに連絡があります。
彼にもし何かあったら私が保証人であり、保護者なのです。
彼が死んだら私は一人でその後始末をしなければなりません。

あなた様の場合はどうなりますか?
このまま一緒にいたとして、いずれ義両親は亡くなられます。
義兄さんも、お話の様子では頼りにできなさそうです。その上、もしあなたに何かあった場合、身元引受人は娘さんになります。
成長して、夫や子どもを持った娘さんに、父親の不祥事の後始末や入退院の面倒な手続きをやらせますか?
もしかしたら、あなた亡き後、娘さんと同居しなくてはならない状況にもなるかもしれません。
あなたがいない家で、娘さんが結婚相手に気兼ねしながら父親の面倒を見る事に耐えられますか?
法律上の身元引受人になっては娘さんは逃げられません。

父が亡くなってから母の面倒は私が看てきましたが、弟は年金暮らしになった母にも「金くれ」と言っていました。
もう一度言いますが、弟は50を過ぎたおっさんです。もし、まだ早い段階から、私にこの病気の知識があったなら、あなたのように苦労してでも親任せにしないでいたら、もっと違った弟に会えたかもしれません。
もっと法的な知識を持っていたなら、親がこうなる前になんとか出来たかも知れません。
兄弟は他人の始まりと言います。
私はできるなら弟と他人になりたいです。
もし私より弟の方が長生きしたらどうなるのか、恐くて調べられません。
それでも私の子ども達にその責が降りかからないようになんとか手配をしてからでなくては死ねないと思っています。
ひどい姉です。

あなたのお身体をいつも心配していました。
もう、楽になってもいいのでは?と思います。
娘さんが雁字搦めになってしまう前に考えた方がいいと思います。
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