ぼけヴォケ!

認知症患者と介護家族はいかにしてボケツッコミスキルを入手したか。
慢性骨髄性白血病発症。目指せ分子遺伝子学的寛解維持。

管理職。

2009-02-28 | Weblog
調子の良いときはTVに意味もなく拍手したり。
わりと機嫌良くすごすことの多いBooじーちゃ。であるが、暴れるとなるとただ事ではない。

アルパカのように唾を吐きつける。(アルパカとは違い、全然可愛くないが。)

手を挙げる。(顔面を殴ってくることがあるので要注意。)

足を踏む。


今日も盛大に暴れてくれた。
おかんさまの足は蹴られたせいで内出血を起こし。全体の三分の一ぐらいが青紫色に染まっている。
それを見たおとんさま。
「(おかんさまが)この状態だから、かわりに(家事を)やってくれね」

それは了解ですおとんさま。
ですが、そういうおとんさまは、何をなさるおつもりで……て。


なぜに笑顔でフェードアウトしていきやがりますかおとんさま。
待てやこの管理職風味。
仕事よりも仕事の丸投げだけは上手になってからに。まったく。


教訓。
旦那と父親と上司。手に入る者は甘やかさずに育てましょう。
…でも、こーゆー家の中の物は縦のものを横にもしない男に限って。
職場じゃ「マメな人」で通ってたりもするもんなんである。
やだねー、外面ばっかな男ってぇのは。
「男は愛嬌」という、我が家の家訓にもほどってもんがございます。
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鈍磨。

2009-02-27 | Weblog
Booじーちゃ。は、猫舌である。
さすが、猫の性だけのことはある。
たとえぬるめのお湯でゆっくりと出した緑茶であっても。
周囲が寒く、湯気がくっきりと見えるような日には、肺活量の限界に挑む勢いで吹いて、きっちりとさます。
なぜか、湯飲みを片手で回転させながら。

湯飲みの糸尻で擦り傷ができるので、テーブルの上はBooじーちゃ。の定位置だけほんのりと白っぽい。
それを嫌がるおかんさまは、Booじーちゃ。の前にお茶を出すときには鍋敷きの上に置くようになった。
メガサイズの茶托である。


そのBooじーちゃ。の様子が変わってきた。


ぐらぐらと沸騰したてのお湯でほうじ茶を入れて出す。
煮え下ろしというらしいが、熱湯で出したほうじ茶は香ばしくておいしいものである。
だが。
「熱いから気をつけて」
その言葉よりも早く、手を伸ばしたBooじーちゃ。
熱さに手を離すかと思いきや、がっしり握ってぐ~~っと一気のみ。


……あの、唇火傷して皮剥けてるんですが(汗)。


どうも、熱さはどうでもよくなったらしい。
それより目の前に出た飲食物を一刻も早く腹の中におさめる方が先決であるのか。
「冷めるまで、置いときない」と湯飲みを受け取ろうとすると。
身を捩っていやがり逃げるBooじーちゃ。
とられると思うのだろうか。
暴れて熱々のお茶をぶちまけられでもしたら、ことである。
下手に抑えることもできやしない。
対策としては、ぬる~~い飲み物食べ物を出すくらいのことしかできぬのだろう。


思えば、以前からBooじーちゃ。の五感は衰弱しているきざしはあった。
30㎝前に人が立っていても、その顔すら認識できないからぶつかるまで止まれない。
散歩に行けば自分の足が弱っていることもわからず、限界まで足を動かしぶったおれかける。
尾籠な話だが、排泄物が出ようがついてようがわからぬから、トイレに行くことを指示されても嫌がる。
だが、熱までわからなくなっていようとは。
唇どころか食道や胃まで灼きそうなBooじーちゃ。
周りがいっそう気をつけなければいけなくなっていることだけは、確かなようである。
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半分。

2009-02-26 | Weblog
ワタクシメの夜中のお供は、PCと紅茶である。
ポット一本詰めてPCの横に置いておき、ブログの更新などをしている。

ところが、この紅茶。
淹れている途中で。
たまさかおかんさまが「ちょっと一杯」と持って行ってしまう。
結果、ポットに半分ぐらいしか残らないこともしばしば。

「酒瓶に半分の酒。
 楽天主義者は「しめた、まだ半分ある!」と喜び。
 悲観主義者は「なんてこった、もう半分しかない!」と嘆く」
とは、イギリスの劇作家バーナード・ショーの名言である。
この言葉通りではないかもしれないが。
いろんなところで引用されているようではある。

さて、紅茶の場合はなんというべきか。


おかんさま「いーじゃないのよ。お茶の飲み過ぎでおねしょするよりゃマシでしょ!」


…………。

バーナード・ショーがつんのめってこけた挙げ句、ごろごろ転がってってフェードアウトしていきそうな勢いで名言をだいなしにしてくれやがりますかおかんさま。
ワタクシメ、尿取りパッドとリハビリパンツの二枚重ねにしてるBooじーちゃ。じゃ、ござんせんのですがねえ(こめかみに怒りの四つ角)
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カーテン。

2009-02-25 | Weblog
おかんさまに言わせると、Booじーちゃ。は、猫の性なのだそうな。


具体例しょの1。
・寒いところが大嫌い。

最近、Booじーちゃ。が夜中に玄関に行き。
鍵をかちゃかちゃさせていてもほっとくようになったおかんさま。
……出てっちゃったらどーすんのさ。

おかんさま「大丈夫!雪が積もってるのに出てなんか行きゃしないわよ!」

大正解。

「おむかえが来た!」と騒いでも。
「寒いからついてかない」の一言で。
「キャンセルだキャンセル!」
と自主的に引き下がるようになったBooじーちゃ。
確かに、雪のある間はほっといても安心ではあるようだが。
問題は木の芽どき。
温かくなった頃に突発的脱走をやらかしてくださりやがりそうな予感がひしひしとするのはワタクシメだけでしょうか。


具体例しょの2
・水が嫌い。

昔から水滴を見るのも嫌いだったBooじーちゃ。
今はテーブルに置いた湯飲みに水が少しでもついているだけでも、すぐさま拭き取りにかかる。
鼻を拭いたティッシュで。
……絶対にきれい好きだからという理由からだとは思えない。
そんなBooじーちゃ。は、絶対に台ふきんを使わない。
なぜかというと、湿った台ふきんに触るのがイヤというのがなんともはや。

当然のことながら、水に触るのも大嫌いである。
冬になると歯を磨くのも、手を洗うのもスルー。
まあ、歯はほぼ総入れ歯だから、困るのは本人なのだが。
口腔内細菌がもとになって肺炎を発症することもあるので心配になる。
それと、手を洗わないのだけはやめてほしいとつくづく願う。
トイレから出てきても洗わないそうなのだから。

おかんさまは、お湯を出すという作戦で対抗しているのだが。
……ガス代がむっちゃかかっているらしい。
反エコの極みである。


具体例しょの3。
・人嫌いなさみしんぼ。

同じ部屋にいると、「昼間に寝るな」など、あれこれ言われるせいか。
ぷいと部屋を出ていったりもする。
トイレ、ダイニング、自分の部屋を一周して戻ってくるのだが。

真夜中になるとリビングへの出現率高し。
ついでに顔を無言でのぞき込まれるおとんさまが、いつショックで心臓発作を起こすかと思うと。
なんだかこちらの心臓まで悪くなりそうになる。
そのくせ、自分の部屋は常に小さな灯りをつけっぱなしにしていたりする。


最近、そんなBooじーちゃ。に、さらに猫っぽいところがあることが判明。


部屋の一点を凝視するBooじーちゃ。
TVの方を向いてはいるが、点いてはおらず、画面を見ているわけではない。

ぬこや赤ん坊は、よく部屋の一点をじ~っと見ていることがある。
それは霊など、目には見えないものが見えているからだ、などと言ったりもする。
それが正しいかはともかく。
ただひたすら虚空を凝視している(ようにしか見えない)姿というのは、端から見るとコワいものがある。

意を決して声をかけてみたおとんさま。
「Booじーちゃ。いったい何をそんな熱心に見とるんだね」

Booじーちゃ。「カーテン!」

…………。
カーテンですかい。

Booじーちゃ。「青だとか紫だとか見える」

おとんさま「こっちの(と、別の窓にかかっている別色別柄のカーテンを指して)カーテンはどうだね」

Booじーちゃ。「柄が気にいらん!」(きっぱり)


幽霊の正体見たり枯れ尾花。
(……って、こういう時に使うんだっけか?)


猫や赤ん坊も、それぞれの目線から見上げたときにしか見えない、何か美しいものを楽しんでいるのかもしれない。
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剪定。

2009-02-24 | Weblog
おかんさまの腕は、現在ぬこに引っかかれたような傷だらけである。
庭の柚子の木と喧嘩したのだ。

柚子の枝には、棘がある。
そりゃもう、薔薇の棘なんてかわいいものだというしかないほどの。
その剪定を短い柄の鋏でやっているのだから。
傷だらけになるのはまあしかたのないことかもしれない。

なぜ剪定をおとんさまがしないかというと。
家訓通り、我が家では「男は愛嬌、女は度胸」なのである。
眩暈持ちのおとんさまを高いところに登らせるわけにはいかぬということもあるが。


おかんさま「その甲斐はあったわよ~♪」

見ろ見ろというので確認にゆく。
……物の見事に切られてますな。確かに。
枝がすっかすっか。
なんだか、木が風邪引きそうな姿になってんですが。


庭木の剪定の要領で、おかんさまは家族の髪もジャビーン!と切ってくださるのだが。
散髪などという生やさしいものではない。
子どもの頃はワタクシメも問答無用で切られていた。
注文は却下される日曜床屋である。
常に同じショートにしかしてもらえず、おまけに、美容室のように切ってくれる方が動いてくれるのではない。
切られる方の頭をぐりぐりと動かして切っていくのである。
ほとんど苦行であった。


剪定をされかけたこともある。
サイドを揃えようとしたおかんさまが。
ワタクシメの耳たぶもいっしょに鋏の刃にかけたのだ。

幸いにも、耳たぶを挟んだのが刃先だったので、鋏の刃がしなってよじれ。
耳たぶは刃と刃の間に挟み込まれた。
耳は切れこそしなかったが、あまりの痛さに大泣きしたことを覚えている。
その時のおかんさまの様子も忘れることはないだろう。

一歩間違えれば、自分の子どもの耳を半分切り落としていたというに。

「あらやだ、ごっめーん」

噴き出しながら、謝られても。
真剣味などかけらもない。
本気で睨みつければ、その顔がおかしいと腹を抱えてさらに笑う。

二度とおかんさまなど信用するか。こんちきしょ。
そう、心に誓った三歳の夏のことである。

今も懲りずに痛い目にあわされてる気はするけどナー。
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