ぼけヴォケ!

認知症患者と介護家族はいかにしてボケツッコミスキルを入手したか。
慢性骨髄性白血病発症。目指せ分子遺伝子学的寛解維持。

ヨコヨコタテタテ…?

2009-01-26 | Weblog
尾籠な話だが、自宅介護と下のお世話は切っても切り離せない。
そんなわけで。
今日分は冒頭に警告文つきである。
不快を感じるおそれがあるので、食事前の人、排泄物ネタが嫌いな人は読まないように。
警告はしたかんね~。


すでに下半身の感覚が鈍っており、出たか出ないか、大も小もわからなくなりつつあるBooじーちゃ。
ズボンの下は、アンダーズボンにリハビリパンツ、尿取りパッドの重ね履きである。

リハビリパンツは一般的な男性下着と違い、社会の窓がついてない。
下ろさなければ小もできない。
ところが、アンダーズボンは横に窓がついている。
そうすると、認知症患者はどう使うか。
あくまでも、自分の慣れ親しんだ方法を厳守するのである。

窓のないところは上から引きだし。
窓のあるところは窓から引っぱりだそうとする。
結果、下着はぐちゃぐちゃにこんぐらがる。

その下着の群れを縫うようにひっぱりだしたとて。
ただでさえ、短いホースを潰して畳んで水を流すようなものである。
ちょろちょろとしか流れるわけがない。
おまけに間に合わず、下着どころかパジャマ、半纏に至るまでびちょびちょに濡らしてくれることも、ままある。

業を煮やしたおかんさま、とうとうアンダーパンツもすべて窓を縫い付けてしまった。
おとんさまはつききりで、全部下半身を脱いで、座って用を足すようにと世話を焼く。
みっともないようだが、足の弱ってきている人間には、安定した格好で用を足すことが安全につながるのだ。

それでもリハビリパンツを脱ごうとせず、適当にずらしただけで用を足そうとするBooじーちゃ。
トイレの床は汚れ、ジャージはシミがつき、靴下はびちょびちょ。
その格好で、平気で炬燵に入るものだから。

今日もその匂いが部屋に充満し、おかんさまの怒声は家に蔓延するのであった。
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夜中の彷徨。

2009-01-25 | Weblog
またもBooじーちゃ。の真夜中の徘徊が激しくなった。

ごそがさとトイレに行ったり来たりするだけならまだいい。


夜中におとんさまの部屋に入ってゆくこともある。
はっとおとんさまが目覚めると。
そこには無言で顔をのぞきこむBooじーちゃ。の姿があったりもするそうだ。
なかなかに心臓に悪いシチュエーションである。

時には声をかけておとんさまを起こすこともある。
「向こうの小屋に行きたいから、長靴出してください」
……えーと。
指さす方には、ご近所の墓地しかないんですが。


これでも、まだましな方だ。
問題は、Booじーちゃ。が、一人うろうろと歩き回るときである。

玄関で転んだのか、傷だらけの手になっていたり。
鍵をかけていたアルミ戸を、無理矢理こじあけ、ねじまげてみたり。
しまりづらくなった、あきっぱなしの戸をほったらかしてみたり。
そして、朝が来るたびにおかんさまの怒鳴り声が爆発する。


長年農業に従事してきたとはいえ。
変に腕力が充実している認知症患者というのも、相当困るものである。
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ゆめまぼろしのごとくなり。

2009-01-24 | Weblog
最近、Booじーちゃ。の譫妄症状に新しいパターンが加わった。

これまでの譫妄にはいくつかのパターンがある。

「三十年以上会っていない友人がくる」
「都内某所に参拝にいかねばならぬ」
「叙勲してくれるというのでお迎えがきた」
「きれいどころのいっぱいいるお座敷で宴会した」
などと、願望が噴き出したのだろうな、と思われるもの。

「泊まりがけで来た友人が床下に入り込んで出てこれなくなった」
「床板を剥がして救出せねばならん。警察を呼べ」
「そこの車に人が閉じ込められている。出してやれ」
「(のぞいて人などいないことを確認しても)しゃがんで隠れている。なんとかしてやれ」
などと、幻覚を伴うパターン。
これはなぜか、「視界外にいる」「救出」がキーワードになっているようだ。


そして、今度は。
「この家の子どもがいなくなった!探しにいかねばならん」
小さい頃のワタクシメとあねうえどののイメージだけが頭にあるのか。
目の前にいるワタクシメとあねうえどのを無視して、他人の靴だろうが、かまわずに履いて出て行こうとするBooじーちゃ。
まあまあとなだめ、「その子どもの名前は?」と聞いてみる。
すると、出てくるのは、おかんさまや自分の姉妹の名前だったりする。
すでにおかんさまが自分の娘であることも忘れているので、出てくる名前は血の絆の強さを示すものというよりも。
ただ、親しんだ歳月の長さを示すものというだけなのかもしれない。


人生五十年とは、信長の愛したという幸若舞「敦盛」の一節だという。
それよりは長くなったとはいえ、人の一生など、下天の裡に比べるまでもない、短いものだが。

今のBooじーちゃ。の脳裏は。
これまでの人生に詰め込まれた沢山の記憶をランダムに読み出しては再生を続ける走馬燈のようなものになっているのかもしれない。
ただただ妄想と小馬鹿にしていいものではなかろう。

…だからと言って。
「小さい子たちが来る!」と。
真夜中に灯りもつけず、玄関先に座っているのは勘弁な。
ホラー風味で怖いから。
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やさしさにつつまれたなら。

2009-01-23 | Weblog
子どものころは、風邪をひくのが恐ろしかった。


別に、学校を休まなければいけない羽目になるのがいやだとか。
高熱のだるさがきらいだったとか、そういうわけではない。


「風邪はあったかくして寝て、汗をいっぱいかくのが一番!」
おとんさまとおかんさまは、そう思い込んでいた。
かけ毛布と敷き毛布、掛け布団と敷き布団できっちりコーティングした子どもを真ん中に。
二人がかりでがっちりロック。

川の字というより布団蒸し?

息が苦しいのは風邪のせいなのか、それとも顔まですっぽりと布団に被われているせいなのか。
風邪の子がすっかり蒸し上がり、意識が睡魔だか三途の川だかに呼び寄せられる頃。
タオルでごっしごっしと拭き上げた上に、上から下まで着ている物をひっぺがされて全取っ替え。
これがまた力任せもいいところだから痛いのなんの。


されているときには迷惑だとしか思えなかったが。
親として、子どもにやれることはなんであろうとやってやろうという姿勢は、今思い返せば頭が下がる。
自分が親になったとき、子どもにそれほど尽くしてやれる自信ははっきり言って、ない。

洗濯物を畳んでいて。
残った二人の汗の臭いに、記憶がふとよみがえった。
本人たちもさぞかし暑かったろうな、と。


…のぼせて一度、鼻血吹いたけどな。
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変革。

2009-01-22 | Weblog
オバマ氏の就任式が日本時間で昨日の丑三つ時に行われた。
朝から、ずっとTVで取り上げられている。
新聞も第一面のみならず、社会面経済面海外面その他諸々。
大きな写真入りである。
その中でも思わず笑ってしまったのは、その就任演説入りCD付きフォトブックの緊急発売と銘打った広告まであったことだ。
めちゃくちゃ短期決戦型の商品である。

そして、そんなTVを見ていたおかんさま。
……なぜに、ワタクシメをそんな目で見やがりますか?

おかんさま「アンタもがんばんなさいよ!」

……何を?

おかんさま「オバマさんみたいな47歳になれっての!」


なれるかあほたれ。


おかんさま。ワタクシメは35にもなっておりませぬ。
おかんさま。米国合衆国大統領は、米国国籍を取得していないとなれませぬ。
毎度毎度突拍子もなく、脳天気に好き勝手なことを言ってくださりやがるのはいい加減慣らされましたが。
親子とはいえ、他人の人生で妄想(と書いて夢と読む)を見るのはおやめください。

そんなこと言うから、ブログネタになるのである。
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