ぼけヴォケ!

認知症患者と介護家族はいかにしてボケツッコミスキルを入手したか。
慢性骨髄性白血病発症。目指せ分子遺伝子学的寛解維持。

QOL。

2009-01-09 | Weblog
「自宅介護をやっています。」
そう言うと、「大変ね」というリアクションがたいてい帰ってくる。
同情に充ちたまなざしつきで。

さて、いったいどこからどこまでを「大変」と言うのだろう?


譫妄の症状が酷くなったときは何度かある。
「お迎えがくる!」と主張して、玄関先から動こうとしないBooじーちゃ。
食い意地が張ってきているというのに、そんなときには「ご飯ができたよ」と呼んでも動こうとしない。
隙あらば脱走しようとするBooじーちゃ。を横目にずるずると麺を啜り、家族全員参加だるまさんがころんだ状態に突入したことも何度かある。
暴れるBooじーちゃ。を止めるため、肉の壁代わりにおかんさまやおとんさまとともに立ちふさがったことも何度かある。

だが、今のところワタクシメとしては「おおごと」と思ったことはあっても「大変」と思ったことはない。
それはなぜかというと、自己犠牲の精神なんて毛頭ないからだ。

おそらく、大変がってくださる人の脳裏には、
「まー、やりたいこともやれずにずっと介護してるなんてかわいそう」という考えがあるのだろう。
ワタクシメはやりたいことしかやっていないのだ。

別に、介護がやりたいことであって、それしかやっていないと思われても困るが。
介護というものが、被介護者のQOLを維持し、向上させようとする試みであるならば。
それを成功させるには、まず介護者のQOLの維持と向上が必要なのだ。

一時は自己犠牲をする自分に陶酔しまくっていても、長くはもたない。
自己犠牲を介護者に強いてはならない。
そのためには、家族全員の協力が必要なのだ。

…などと、えらそうなことは排泄物まみれのBooじーちゃ。の衣服を始末してから言おう、自分。



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