昨日、11月22日のお話です。
世間ではこの日を、「いい夫婦の日」というらしいのですが、いいもわるいも、夫がいなくなってしまったわたくしは、しかたなく、友人Kをさそって、多摩川サイクリングロードを上流に向けて走ることにしたのでした。
と、もうしますのは、先日、Yasさまのコメントを拝読してふと気が付いたのですが、わたくしはこれまで、多摩川サイクリングロードというと府中四谷橋よりも下流側ばかりを走っていて、それより上流は支流の浅川サイクリングロードに入ってしまうケースが9割を超えているのでございます。
高尾時代は、多摩川とはエリアが離れておりましたので仕方ない選択だったと思われますが、日野に住むようになってからは、多摩川上流へのプローチも比較的容易になったのでした。
そこで急に思い立って、府中四谷橋から羽村堰(玉川上水の起点)をめざすことにしたのでした。
3連休初日の多摩サイは非常なる混雑が予想されましたので、友人Kは若干、二の足を踏んでおりました。
しかし、往復50kmちょいで川沿いの平坦路往復……これほど脂肪燃焼に有効なコースはないのでございますからして、そのあたりをエサに誘いますれば、友人K(中年)はホイホイとやってくるのでした。
(実際、わたくし本人にとりましても、脂肪燃焼は切願なのでございます~。)
さてさて、そんなわけで、一番橋から浅川を下流へ下り、浅川と多摩川の合流地点であります府中四谷橋から、Uターンして多摩川本流へと入って参ります。
↑多摩都市モノレール(立日橋)でございます。
秋の斜光をあびてススキの穂が金色に輝き、のどかな風景でございます。
写真には残さなかったのですが、多摩丘陵ごしに丹沢の山々と真っ白な富士山が眺望される格好のロケーションなのでした。
それにしましても、思っていた通り、休日の多摩サイはこれはもう、上りも下りも、自転車の高速道路のよう。
ロード5割、MTB3割、小径2割、その他1割…って感じでしょうか。
あら? 全部で11割になっちゃいましたわね。まあ、適当なので、気になさらないでくださいまし~(汗)
トレック、スペシャライズド、アンカー、ジャイアント、スコット、インターマックス、ジオス、コルナゴ、フェルト、ルイガノ、ビアンキ、ピナレロ、デローザ……そして、もちろんキャノンデール。
なんかもう、オンパレードって感じで、モノスゴイことになっているのです~。
拝島のあたりで、一部、サイクリングロードというより雑木林の中の遊歩道みたいになっている箇所があるのですが、お散歩している歩行者の脇を、MTBだのロードだのが、数珠繋ぎになってビュンビュン追い抜いていくわけです。
せっかく静かにお散歩を楽しんでいらっしゃるところを、お邪魔して申し訳ないのでございます~。
追い抜くときには、できるかぎりスピードを落としますけれど、それでも思わず、「申し訳ございません~」と謝罪せずにはいられないのでした。
そうこうしているうちに、次第に前方の奥多摩の山々が近づいてきました。
睦橋のところで、五日市から風張峠などをめざす方々が、秋川に沿って方向を変えていきますので、このあたりからは、若干、自転車の数が減ったようでもございました。
ひと休みして、エンゼルパイで糖分をとり、さらに先へと進みます。
多摩川も浅川もそうなのですが、サイクリングロードというのは、橋や幹線道路の下をくぐるようになっているので、信号で停止することがないのでございますよね。
ですから、積極的に休憩をとらないと、延々、ローラー台のように脚を回し続けることになってしまうわけです~。
以前、多摩サイの河口往復の後半で、大バテしてしまった苦い経験を持つわたくしは、シャリバテ恐怖症に陥っているのでございまして……結果的に、せっかくの脂肪燃焼のチャンスを、こうして大量の糖分摂取で台無しにするのでした。
さて、福生を過ぎて羽村大橋を通過しますと、唐突に羽村堰が見えてまいりました。
やったぁ! 終点でございます~!
……というよりも、多摩川サイクリングロードの起点でございます~!
多摩川サイクリングロードとは、この羽村堰から羽田空港のある海までの区間に整備されているので、羽村は終点というよりは、起点というべきでございましょう。
ちなみに多摩川それ自体は、羽村から先も奥多摩湖まで、まだまだ続いているのでありまする。
↓この写真は、羽村堰から分岐する玉川上水のはじまりのところです。
玉川上水というと、太宰治のことだとか、なんかそういうイメージがございますけれど、元々は、みなさまご存知の通り、江戸時代に、江戸の水不足を解消するために作られた上水路なのですわね。
その工事に私財を投じて貢献した玉川兄弟(「その時歴史は動いた」オンエア済み)の銅像がありましたので、せっかくですからCAAD9少佐のスナップを撮ってあげました。
少佐どのはたいしてうれしくなさそうですが……
さてさて、目的の羽村堰にも到達したことですので、戻ることといたしましょう~。
帰りは、友人Kに先導してもらって、わたくしはフラフラ後ろを付いて参ることにいたしました。
すると、友人Kときたら、意図的か否かわかりませんが、多摩川ではなく、玉川上水沿いの細い道を走り出したのでございます。
しばらくは多摩川と玉川上水は平行していますが、次第に離れていき、玉川上水は小平とかそっちのほうへ行ってしまいますので、早めにルートを修正して、多摩川に戻らなくてはいけません。
ちょうど、川沿いの道がとぎれたので、友人Kは進路を右手にとって、多摩川サイクリングロードの方向へと坂道を下り始めたのでした。
すると、そこはなんと! わたくしの大好物の嘉泉(日本酒)の蔵元でいらっしゃる田村酒造の真前の道だったのでした。
なんてことでございましょう~!
友人Kったら、なにげにスゴく勘のいいヤツじゃございませんか!
わたくしが先導していたら、最初から多摩川沿いを走っていたでしょうから、田村酒造の前を通るなんてことはなかったでしょう。
ナイスなわき道選択なのですわ~。
そして、さすがは田村酒造。白壁の土蔵がいくつも連なる立派な造り酒屋さんです。
ああ、立ち寄りたいのでございます~。
お土産に1本買って帰りたいのでございます~。
しかし、蔵元さまですから、きっと試飲コーナーなんかもあるに違いありません。
気が弱いのと同じくらい、意志の弱いわたくしのことです。
試飲コーナーを目にしたとたん、飛びついてしまうに決まっています。
わたくしは嘉泉のまろやかな風味を思い出し、口の中いっぱいに唾液を溜めながら、(イヤ、いかん。自転車はれっきとした軽車両なのだ、飲酒運転はイカン)と、自らにいいきかせ、ほとんど目をつぶって白壁の前を通りすぎるのでした。(それはそれで、キケン)
田村酒造の白壁が途切れた曲がり角、ふいに友人Kがバイクを止めました。
そこには、見落としてしまいそうなくらい、とっても控えめな小さな看板が……
「おやき・お茶→(コチラ)」
……と書いてあります。
友人Kは、この看板にハートをワシヅカミにされたようです。
わたくしの同意も得ないまま、かってに進路を変えて、おやきの喫茶店めがけて暴走するのでした。
わたくしも、ここはひとつ、「おやき」でもって、田村酒造への未練を断ち切ろうと決心し、友人Kの後に続きました。
「おやき」のお店は、「さなぎ屋」さんといって、田村酒造からわずか300mくらいのところにありました。
普通のおうち……といっても、風格ある門構えの立派な民家で、その敷地の一部を改築して、喫茶ルームを営んでいらっしゃるのでした。
周囲を生垣に囲まれているので、敷地内に自転車を停めさせていただけば、盗難のリスクも低い、まことに自転車人向きのお店です。
↑この写真からもおわかりの通り、隠れ家的な雰囲気が漂い、なんだかワクワクするお店なのでございます。
中に入ってみますと、すがすがしい木材の香りがただよいます。
店主の方は、30代くらいの清楚で上品な女性で、おひとりでお店をきりもりしていらっしゃるご様子でした。
もっとも、多摩サイからも少し離れている住宅街でひっそりと営んでいらっしゃるお店ですので、土曜日の午後というのにお客は友人Kとわたくしのふたりきり。。。
このお店をみつけることができた、幸運…または縁といってもいいかもしれません。そんな縁でつながることができた人だけに、おいしいお茶とおやきを出してくださる、そんなお店のようでした。
けれど、けして敷居が高いということはないのです。
女主人さまは、物静かでいらっしゃいますが、心からわたくしたちを歓迎してくださっているのが自然と伝わってくるのでした。
ですからわたくしたちは安心して、誰もいない店内に上がらせていただくことができたのでした。
さて、20畳ほどの部屋の真ん中には大きな木机があり、青い染付けの磁器がたくさん並べられていました。
その器をひと目みて、わたくしは体中の血のめぐりが倍速になったような心持がいたしました。
それは、砥部焼というやきもので、わたくしが個人的にとても思い入れている品物だったのでした。
古い話になりますが、今から20年前のこと。わたくしはひとりで四国を旅しておりました。
松山の道後温泉で漱石や子規の記念館など観てまわり、次はどこへ行こうかと思案していたとき、松山のわりと近くに、砥部というやきものの里があるという情報を得たのでした。
行ってみると、砥部という集落は、砥部焼の窯元がそれこそ何十という数、点在している文字通りのやきものの里でした。
それらは基本的には同じカテゴリーのやきものに違いないのですけれど、窯元によって個性がありますので、わたくしは1件1件訪ね歩いて、かなりじっくりと見学させていただいたのです。
ところで、その旅の時期は2月下旬か3月上旬だったかと思いますが、わたくしが砥部を訪れた日はとても寒い日でした。
朝ごはんを食べたきり、その後は飲まず食わずで歩き続けていたわたくしは、夕方になるとすっかり疲労し、体温も低下し、いくつか目の窯元さんのところで、凍えてへたりこんでしまいました。
(なにもそこまで、窯元めぐりに執念を燃やさなくともよかったのですが……)
わたくしがへたりこんでしまった窯元さんは、若い陶工の方がおひとりで器づくりに励んでいらっしゃる工房でした。
その若い陶工さんは、梅野さんというお名前だったことは記憶しているのですが、それ以上のことは残念ながら忘れてしまいました。
その方は、わたくしの暴挙をやさしくいさめつつ、ストーブで暖をとらせてくださり、温かいお茶とお茶菓子を出してくださいました。
ひと心地ついて、その方の作品を拝見いたしますと、白地に青の染付けで、絵柄も砥部焼の伝統にのっとったシダ模様などの、オーソドックスなものだったのですが、絵付けにどこか勢いがあって、絵柄もなにかが違っている……
よくよく拝見すると、シダ模様の葉の部分に、丸い胞子嚢が絵付けされているのでした。
ほかにも窯元さんをたくさん拝見しましたが、シダの葉に胞子嚢を描いていらっしゃるのは、この方おひとりでした。
わたくしは、それがすっかり気に入って、数ある作品の中から慎重に吟味して、蕎麦ちょこをひとつ買い求めさせていただいたのでした。
それが、↓この器でございます。
ロジクールのマウスと比較していただくと、だいたいの大きさをわかっていただけると思いますが、一般的な蕎麦ちょこの大きさかと思います。
わたくしはこれを、大切に大切にして、この20年を生きて参りました。
その砥部焼に、昨日、多摩サイ・ポタリングで立ち寄ったお店で、偶然、再会できたのでございます。
わたくしは大感激してしまいました。
しかも、しかも、です!
二重にうれしいことに、そのお店には、2006年版の『TOKYO自転車人』が置いてあったのでした。
なんというご縁でございましょう~!
わたくし、すっかりうれしくなって、店主さまに、おもわずお声をおかけして、自分の20年前の砥部焼との出会いのこと、また、自分が地図屋で、このお店にある雑誌の地図を作らせてもらっていることなどを、お話申し上げてしまったのでした。
すると、それまで物静かでおとなしい感じにお見受けした店主さまの表情がぱっと活き活きとなり、そのことを、ちょっと予想外に喜んでくださったのです~。
このお店の店主さまは、ご自身が砥部焼をとても気に入って、ひとつふたつ収集しているうちに、それが長じて、ギャラリーとして展示や販売をするようになられたそうです。
そもそも、東京西部の羽村と、愛媛県の砥部とでは、まったく何も関連がないのですから、このお店で砥部焼を扱っていること自体が、非常に特殊なことなのでした。
そして、同時に『TOKYO自転車人』の地図の作者がわたくしであるということにも、店主さまはとても感激してくださったのですが、わたくしこれまで、地図を作っていると告白して、これほど喜んでいただいた経験がなかったので、なんだか自分の地道な作業を肯定していただいたような心持がして、思わず涙ぐみそうになってしまったくらいでした。
とにかく、砥部焼と、自転車人と、ふたつのご縁で引き寄せられた店主さまとわたくしは、感激のあまり、かたく握手をしてしまったほど盛り上がったのでした。
ああ、大切なことを申し上げそびれておりました。
このお店のお茶とお菓子(おやき)のことでございます。
わたくしは、さやま野紅茶と、スイートポテトのおやきのセットを、友人Kは、ホットゆずジュースと、あんのおやきのセットを、それぞれいただいたのですが、とても美味しゅうございました。
おやきとお茶のほかに、口なおしのお漬物や、あられせんべいが添えられていて、細やかなおもてなしのお心がうれしいのでございました。
みなさまも、羽村や福生の方面へおでかけの機会がございましたら、ぜひ立ち寄ってみてくださいませ。
さなぎ屋さん でございます。
こうして、世にもマレな、奇跡のような出会いをさせていただいたわたくしは、帰る道々、ホクホクとうれしい気持ちでいっぱいで、少佐どののペダルをこぐ足取りも軽く、終始、ニコニコしっぱなしでございました。
すれ違うサイクリストの方が、「このおばさん、なんでニヤニヤしながら走っているんだ?」と不思議そうにわたくしをご覧になられましたが、もうそんなことに構っていられないくらい、うれしい気持ちが後から後からあふれてくるのでした。
途中、バイクをとめて上流を振り返ると、奥多摩の山々は遠く、夕日に浮き上がっています。
次はいつ、あのお店に行けるかしら……
わたくしは、もう、そんなことを考え始めておりました。
すてきな寄り道をしてくれた友人Kに、素直に、感謝です。
今度あのお店にいくときは、梅野さんの蕎麦ちょこを持っていこう……そんなことまで計画しながら、わたくしは多摩川をわくわくと下って、家路についたのでございました。