徒歩10分くらい離れている場所に住む友人と散歩するようになったのは、コロナ禍で屋内で会うのは心配という理由からだった。
コロナ禍の初めのころは電話で会話していたのだが、やっぱり顔を見て話したいと言うので昨年の春から週に一度、散歩も兼ねて近くの大型公園で待ち合わせるようになった。
夏の暑い時季、降雪の時季は避けて、今年も4月から会っている。
でも運動としての散歩には物足りない。会話しながらなので歩行速度が遅い。
ただ気が乗らない時でも外に出ていくのは約束しているからで、それはメリットなのだと思っている。
昨年から公共の乗り物を使って少し遠出したいと言うようになった彼女。
地下鉄のターミナル駅までバスで行って、ブックオフで本を見たいとか、歩けるところまで歩いて行って、帰りはバスに乗って来ても良いよね と言うが、私はそこまでしたくない。
けれど彼女の意向で、とうとうバスで出かけることになった。
バス路線が違うので別々のバスに乗って行って待ち合わせることにしたが、彼女は自分が乗るバスの時刻が分からないと言う。結局私がスマホで調べることになった。
大した手間ではないが、何となく違和感が残った。
待ち合わせの場所も、どうせブックオフに行くのだからそこで待ち合わせようと言う私に、場所が分からないと言う。
〇ビルの向かい側で、幹線道路に面してるし分かりやすいと説明したのだが、躊躇っているような返事しかない。
仕方がないので降車場所で待ち合わせとなった。
彼女は「石橋を叩いても渡らない人」と息子さんからも言われているらしい。
でも、それだけではなく依存心が強いのじゃないか。
石橋の向こうに行きたいけれど、一人では行けないので誰かを誘う?
少し距離を置いた方が良いかもと考える契機になった出来事だった。