日々のつれづれ

日々うららかでありますようにと願ったけれど、平穏な日々は続かない。
穏やかな老後は訪れるか。

今年も僅か

2007-12-27 | Weblog
昨日、今日と凍えるような寒さです 24時間、ストーブは点けっぱなしだけど家の中はなかなか温まらないし、外出すれば中道はツルツル路面で怖いですが、まとまった雪が降らないので大きな道路は走りやすい
でも年末は荒れるといっていますよね

色々考えたけれど 今年はおじいちゃんはどうするのよ。 俺は泊まってもいいぞという夫の言葉に押されて父を連れ帰ることにしました
我が家に連れて来れるなら良いのですが、そういう訳には行かないのでやっぱり大変 食べるものは当日スーパーで買うとして、調味料は我が家から持っていかなければなりません。

実家には今年も父を連れて帰るとメモを残してきましたが、まだ返事はありません。今日も出掛けてきましたが、メモを読んだ様子はありません。その後来ていないのでしょう。
どうするのかなって思っているはずだけど、何か言って藪蛇になったら困ると思っているのかも


31日は早くに買い物を済ませて父を迎えに行かなければならないので、私の2007年はあと3日。
今年も色々あったけれど、ブログで友達の輪が広がったことは嬉しいことでした
このブログに立ち寄ってくださった皆さん、有難うございます どうぞ良いお年をお迎えください そして来年もよろしくお願いします
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ハッピークリスマス

2007-12-25 | 夫と子供と孫のこと
毎年クリスマスの時期になると必ずラジオから流れるジョン・レノンの“Happy Christmas (War is Over)”
クリスマスソングの中では一番好きな歌なのですが、今年は今朝のラジオで初めて耳にしました

我が家のお疲れさん会で、土曜日に夫と息子と3人で食事に出かけました。まずはビール夫はその後は日本酒で私は梅酒サワー息子は飲まないのでソフトドリンクを
かき料理がおすすめと言うので単品でいくつかチョイス。息子は生鮨のセットを頼みました。
夫はいつも多めに注文するのですが、今回もおなかいっぱい

夕食の支度をしないで済んだのですが、帰宅してドッと疲れが アルコールが入ったせいかも知れませんが、自分で思っているより疲れがたまっていたみたい
日曜日は何もせずにゴロゴロしていました

月曜日、夫はゴルフ仲間に誘われてゴルフに出かけました 雪の少ない伊達のほうに出掛けたのですが、この時期、北海道でゴルフなんて氷点下の寒さの中、防寒対策を施しているとはいえゴルフをするなんてバカじゃなかろうかと思います。
そのゴルフ場、3が日もオープンするとか。もう予約は一杯なのだそうです 
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印刷ミス

2007-12-22 | Weblog
PCのリカバリを終えて今日はプリンタを設定。バックアップしてあった住所録をインポートして
半分しか印刷していなかった年賀はがきを作成し、宛名の印刷も
途中まで宛名印刷したところでなんか変 郵便番号がちゃんと入っていない
”0”で始まる番号の”0”の部分が印刷されていないため、左詰になって右側が空白
エクスポートする時かインポートする時に設定がおかしくなったのか それとも住所録を作るときに間違った
プリンタも色が良く出なかったりして結局20枚くらい印刷しなおし。
PCで印刷すると必ず印刷ミスが出ます。
一枚ずつ確認して印刷すれば良いのでしょうが、連続印刷すると喪中の人の分まで印刷になっちゃったり

今年喪中だった我が家にも年賀状が何枚か届きましたが、きっと連続印刷してそのまま出してしまったのでしょうね。

連休で郵便局はお休み 火曜日に手数料を払ってミスしたハガキの交換に行ってきます
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飛んで行きそう

2007-12-21 | 家計を考える

今日は朝から気分が優れない
一昨日は東京から帰郷している友人に会うために出かけ、昨日はPCサークルへ。
しかも息子の車にリコールがかかったため、息子は私の車で出勤 私は歩いて出かけました

そのための疲れもあるのかなと思ったのですが、こんな時は身体を使っていたほうが良いと考え、掃除をしながら年賀はがきの印刷をしようとPCの電源を入れました
起動はしたもののタスクバーが画面の半分まで広がり、スタートボタンが見当たらない。アイコンは表示されているけれどアイコンの名前は表示されない。キーを使って再起動をかけてもダメ
色々やるよりもリカバリしたほうが早いと、家事をしながらリカバリしました。
途中で父のところへ出かけ、ようやくネットに接続するところまで終わりました。
まだプリンターのインストールをしていないのでハガキの印刷はできません。
明日はプリンターとメールの設定です。とにかく年賀状を仕上げなければ次に進めません
やっぱり買い替えの時期かなと思うのですが、つい先日お風呂の換気扇が壊れて交換したばかり
洗濯機も脱水のときに飛んで行きそうな勢いで回ってる

PCにはもう少し頑張ってもらいたいと思っています

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義妹への思い

2007-12-17 | 実家に関すること
下の記事に頂いたギズモ。さんのコメント。

>うららさんとしては「しんじられな~~い」って気分なんでしょうね。

ギズモ。さんは心の温かい方だから思いやりのあるコメントを下さったのですが 
今までの経緯もあって、どうしても素直に取れない私 でも初めからそうだったわけではないのです。

弟が結婚して居を構えたのは、実家とはちょっと距離のある公営住宅でした。10年位をそこで過ごし地方都市に転勤しました。長男が中学校に入学するのを機に親の介護のためにとの理由で転勤希望を出し当地に戻ってきました。そういう理由での転勤申し出でしたから、実家のすぐ近くに居を定めたのです。

まだ二人で暮らすことに大きな不安があったわけではない両親でしたから、義妹が度々実家に顔を出してくれるのは有難く、私はよくやってくれるお嫁さん と思っていたのです。
と思ったのは、ちょっと足が遠のいた義妹に「最近はあまり来てくれないね」と母が言った時の義妹の返事
PTAで忙しくて って言えば済むことなのに、足・腰が悪く、また甲状腺を全摘して疲れやすくなっていた母に「お義母さんも外に出てお友達を作ったら」なんて言わなくてもいいじゃない、という思い。
そう言った義妹が実家に関わる時間が減ったかというとそんなことは無い ただ母は傷つき、私は不信を抱いただけ そんな事を言わなければずーっとよくやってくれるお嫁さん と思っていたはずなのに。

義妹は声の質か口調はとても柔らかい 愛想の無い私はとても羨ましい でも柔らかな口調の中には棘がいっぱい

両親が二人で生活するのは難しくなってきたと感じた私が弟夫婦と今後のことを話したいと申し入れていたのに何も連絡が無く、話し合いの場を持ったのは父が不穏になったせいで顔をあわせた時でした。
開口一番、弟が口にしたのは同居は出来ない 弟がそう言っているのだから黙っていれば良いものを、義妹が口を挟みましたお義母さんと同居したら私はストレスがたまる 

実は弟の結婚に際して、夢中になったのは義妹のほうでした。自分は長男だからいずれ親を見なければならない、という弟に「それでも良い」と言って一緒になったのです
だからと言って、同居する気が無いことを責めるつもりはありません。結婚当初の気持ちがずーっと続くわけではないのは当然のことですし、言いたいことを言える義妹ですから、弟夫婦との同居でストレスから身体を壊すのは義妹ではなく母だったと思いますから。

母が亡くなるちょっと前にも言わなくてもいい事を言った義妹 
母が亡くなってからもこんな事を言って。 何にもいらないから家の中のものはきれいに片付けてくださいね と言ったくせに「(弟に)使わせたいので」と布団を持って行き、「お義姉さんが好きなのを選んだ後でいいから食器が欲しい」って 冗談じゃないわよ
あげくに弟は母の顔を見るとストレスがたまるから実家にあまり顔を出さなかった と、まだ後飾り壇に母の遺骨があるうちに言ったのです
弟が言うのならともかく(それでも許せないけど)なぜ義妹にそこまで言われなきゃならないの

そしてお正月 父を連れ帰るとの私の連絡メモに有難うございます。お父さんも喜ぶと思います。私たちは2日にお父さんに会いに施設のほうへ行きます との返信のメモ。年賀状をどうするかって気に掛けてくれる心があるのなら、ちょっとでも父の顔を見に来てくれる心遣いがあってもいい。

やっぱり義妹の好意なんて信じられません。



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年末が近付いて

2007-12-10 | 実家に関すること
実家に行った際に置いてあった義妹からのメモお父さんの年賀状はどうしましょうか? と。
昨年は義妹にどうしますかと聞かれて「頂いた先に寒中見舞いとしてお知らせする事で良いのでは」と言ったのは私でした。今回はどうしようかと考えてはいたのですが、ちょっと意地悪をして弟はどう言っていますかというメモを残してきました。

その返事のメモが頂いた分だけ返信でも良いのでは・・と言っていましたが、お姉さんの良いと思うようにとも言っていました。どちらにしても私でも良ければやりますので言ってくださいね
どちらにしてもやるのはやっぱり私? 自分のところでやる気が無いなら何故メモを置いたの? 私なら言われるまで知らない振りをしているけどな 父のことを気にかけているというパフォーマンス だとしたら笑っちゃう 父を連れて帰っても顔すら出さないくせに
まあね、私も小姑根性かもと思わないわけではないんだけれど

年末に父の外泊をどうするか考えると心は重くなります。
昨年は31日から元日にかけて父を外泊させることにして、夫と息子も実家に泊まってくれたのですが、弟も義妹も実家に顔を出す事も無かったので 父を連れて帰りたいとは言い難い
私だけが泊まる事にしても、お正月から主婦不在になるのは夫に対してやっぱり心苦しい
そんなこんなのストレスか、週末は腰痛に悩まされました 今日も悪ければ整体か、病院かと思っていたのですが、少し良くなりました

父が帰りたい とは言わないのが救いです
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年賀状の作成

2007-12-08 | 趣味の時間
先週と今週に亘って6日間のP検3級に向けての講座が終了してホッとしたところです。

12月に入って年賀状の準備をしなければならない時期になりました。
PCサークルも2ヶ月目に入りましたが、先月はワードで年賀状を作る を勉強しました。
初心者対象のサークルですのでワードで起動したウィザードの指示通りに作っていくだけ。
教室では絵柄もウィザードの中から選びました

今までは筆ぐるめを使って作っていた年賀状ですが、せっかく習ったのですから今年はワードで作ってみようと思いました。
いつもはフリーの年賀状素材をダウンロードさせて頂いて作っていたのですが、今年は春に偕楽園で撮った写真が保存してあるのでそれを使うことにしました。
なかなか良く出来たと自画自賛
試し刷りをしましたら、夫が写真の下に小さく偕楽園にて撮影 と入れられないかと言いますのでテキストボックスを挿入して文字を入れて完成

あとは住所録が完成していないので、それを入力しなければなりません
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能登旅行

2007-12-07 | 趣味の時間
このところ寒い日が続いていましたが、今日は気温もプラスになりそう。良いお天気です

11月末に行った能登旅行、初日は郡上八幡と白川郷を散策して砺波温泉に宿泊です
空港に着いてバスに乗り込んだのは10時過ぎでしたから、郡上八幡にはお昼ごろ到着になるそうでお昼は車中で到着までに食べてください との事
トイレ休息で皆が降車している間にお弁当が配られました
バスの中から八幡城が見えて、夫はそこへ行きたい様子。配られた地図を見ると片道20分の距離です。自由時間は60分なので他を見ることは出来ないかも。
郡上八幡と言えば水の町 私は清流のあふれる町並みを期待していたのですが、バスの中から水の流れは見えなかったし、ガイドさんの案内も博覧館と古い町並みだけ。聞いてみようと思ってもガイドさんと添乗員さんが話していて、割って入れる雰囲気ではない
泥縄ですが、帰宅して調べたらやっぱり清流の流れる場所はあるんだ
仕方ないので八幡城まで行くことにしました坂道がきつく結構な運動量です。でも紅葉が綺麗でした



案内図も入るように撮ったので、紅葉は半分しか入っていませんがキレイなのが分かると思います。
白川郷に着いたのは15時過ぎでしたから、もう寒くなってきていました。シャトルバスに乗って展望所へ行き、開放している家屋を見学したり集落内を散策したりしましたが、寒いので早々にバスに戻りました。



一日目の宿泊は砺波ロイヤルホテル。リゾートホテルと言えば聞こえは良いですがゴルフ場併設のホテルです。お風呂は温泉ですが大きい浴槽と露天が一つ
お料理はまあ、普通でしょうか
ビールを飲んで、夫は他に日本酒を頂きました

2日目は輪島の朝市に
輪島に近付くにつれて雲行きが怪しくなり、ついに雨が降り出しました 朝市に着いた頃は小降りになり、傘を使ったのは少しの時間で済みました
朝市を見学後キリコ会館へ。能登の祭りには欠かせないと言われるキリコです



昼食は殻つきのままのエビが炊き込まれた釜飯でした。食事の時に雷鳴が轟きスコールのような雨が降ってきました
雨の中バスに乗り込み、次の目的地は千枚田。到着時は雨も止みました


海に向かって棚田が作られています。
それから上時国家を見学、見附島を見て能登ロイヤルホテルへ。1日目と同じ系列のホテルで、やはりゴルフ場の併設です。

いよいよ最終日は巌門に行き、それから千里浜なぎさドライブウェイをバスで走り兼六園へ。
兼六園ではガイドさんの説明を聞きながら園内を見学。もう雪吊りがされていました。


お昼は自由食で、金沢駅前で各自好きなところで頂きます
この食事が一番美味しかったです。

食事が済んで集合時間まで駅前をちょっと歩いてみました。
午後は長町武家屋敷跡を観光して空港へと向かいます。

母と北陸旅行に来た時は高山に泊まりましたから、高山の朝市を見学しました。輪島よりも高山のほうが良かったです食事もホテル内の何箇所かあるレストランの中で好きなところで取る事が出来て、私たちは和食を選んだのですがその時の冶部煮の味は忘れられません。
白川郷から五箇山、金沢に入り兼六園と長町武家屋敷跡、その後東尋坊から永平寺を見学し名古屋空港から千歳に戻りました。
ですから郡上八幡と能登半島は今回初めてでした。

その時も今回も同じ旅行会社だったのですが、この会社は設定料金がちょっと高め それでも食事もそれぞれ、見学の際もそれぞれで、ツアーでありながら全員での行動が少ないのが気に入っていたのです
でも今回の食事は2日とも会食。美味であればそれでも納得できたのですが 
2月に偕楽園に行った時も同じ会社でした。この時もゴルフ場のホテル食事も良くなかったけれど、安かったので仕方ないかと思ったのですが

次に旅行することがあれば別の旅行会社を使ってみようかと思っています
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会食のお誘い

2007-12-01 | 夫の実家
夫の母が連れ合いを亡くしたのは89歳の時義父は入院していたのですが毒を盛られてると言って病院不信になり自宅に戻って一週間で亡くなりました。被害妄想・・・認知症が出てきていたのだと思います。92歳でした。
その後一人暮らしからケアハウス入所を経て、義母も認知症を発し7人いる子供のうちの6番目の子供(五女)の家に身を寄せました。義母96歳の時でした *我が夫は次男、末子になります*

私が仕事をやめた時、義母はまだケアハウスにいたので曜日を決めて毎週訪ねるようにしていました その流れのまま週に一度、義姉の家に身を寄せた義母を訪ねました。曜日と時間を決めて訪ねるようにしたのは、義姉の予定が立ちやすいだろうという思いがあったからです。
私が実家の事をしている上で、義妹が実家に関わってくれる日の予測がつかなかった経験を踏まえてのことでした。

義母の四十九日の折に義姉から落ち着いたら食事をご馳走したい との話がありました。
私にはとても助けられたから、と言うのです。
義姉が世話してくれたから兄弟姉妹が安心していられた。その思いから、ただただ毎週訪ねただけなのに毎週来てくれたのはうららちゃんだけだから。本当に助けられたからと言われた時、実母に「よくやったね」と言って貰えているようにも思ったものです。
12月にイタリア料理のお店に招待されて、義姉夫婦と私たちと4人で楽しいひと時を過ごしたのです

あれから一年、その時だけだと思っていたのに今年もお誘いがありました。
今日これから、韓国料理を楽しんできます
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