日々のつれづれ

日々うららかでありますようにと願ったけれど、平穏な日々は続かない。
穏やかな老後は訪れるか。

年の瀬に

2018-12-28 | 夫の実家

夫家の長女が大腿骨を骨折して入院したと聞いたのは21日だった。

五女のその後が心配でもあったので、年末の挨拶に行きたいと電話した際「近所のお寿司屋さんに行こう」と誘ってくれ、21日の夕方五女宅を訪問した折に聞いた。21日の午後に長女の娘から連絡があったそうだ。

五女はもう通院することも無く回復したようで安心したのだが、大腿骨を骨折して入院となった長女は91歳という高齢なので心配だ。持病もあるので手術は28日になるということで、その前にお見舞いに行きたい。

五女夫婦は22日か23日に行くというが、我が家は22日にUちゃんがママと一緒にやって来る。25日の夕方には帰るので26日にお見舞いに行く予定にした。

昨27日から強い寒波に見舞われているが、26日までは穏やかな天気で病院には午前の面会時間が始まる頃に到着。長女はベッドから動けないものの、高齢だからという不安も払拭するほど顔色も良い。

今年いっぱいで閉店する予定でいた小さな商店を守って来ただけあって頭もしっかりしている。安心して帰宅した。

 

Uちゃんは今回も「帰りたくない」と言いながら帰って行ったが、そう言ってくれなくなる日も近いだろう。

年齢に”つ”をつけられなくなる時が節目だとも聞くが、いま”9つ”のUちゃんは次の誕生日が来ると10歳。

いや、せめてティーンになる13歳までは今のままでいてほしい

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義姉のこと

2018-02-26 | 夫の実家

夫の従兄が亡くなったと知ったのは新聞に死亡広告が掲載されたからだった。従兄はI市で建設業を営んでいる。活動的な人ということもあり市ではそこそこの名士のようだ。

死亡欄に載っただけなら葬儀には行かなくても良いくらいの薄い関係だけれど「広告として掲載されたのだから行った方が良いだろう」と夫は言い、私も一緒にと言うので同行した。

従兄は元気そうな人だったが、死因は心筋梗塞。突然の事だったという。74歳では旅立つには少し早い。

 

私たちは参列しなくても良いかなと言うくらいの関係だけれど、I市に住む義姉夫婦は参列するはず。顔を合わせることが出来たら、夫は義兄に話があった。しかし葬儀は社葬で、参列者も多く、ホールから人があふれてイスも足りないほど。これでは義兄を探すことは難しそうだ。

通夜式が終わり最後のお焼香を済ませて出口に向かった時に義兄が寄って来た。義兄も夫を探していたようだ。けれど一緒にいるはずの義姉の姿は見えない。義兄も疲れた顔をしているように見えて、義姉の体調が心配になった。

と言うのも、毎年4人で食事会をしていたのだが、今年は出来ないとの電話を昨年の暮れに受けた。義姉が手術を受けたと聞いて、年末に義姉宅を訪問した。卵巣腫瘍だったけれど悪性ではないようだと言って、その時は元気そうに見えたけれど予後が悪いのではないか。

そうは思っても、こちらからは体調に変わりはないかどうか聞くくらいしかできない。この心配が杞憂であれば良いのだけど。

 

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三回忌法要

2016-01-25 | 夫の実家

24日、日曜日に夫家長女の連れ合いの三回忌法要が行われた。

金曜日は大雪で、私は90分かけて雪かきをした。今日も雪が降っている。用事があって午前中に出掛けたが、前を行く車が見えづらいほどの雪。おまけに気温も低い。この時間になっても氷点下8℃しかない。雪もまだ降っている

けれど法要当日は、朝の気温は低かったものの天気は晴れ

昨年も天気が良く、比較的気温も高かった。

 

兄弟姉妹が揃うのはこんな時だけになってしまったと昨年は思ったが、今年は兄がいない。これから、全員が揃う事は無いのだ。

この夏はその兄の一周忌法要がある。

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食事会の席で

2015-12-14 | 夫の実家

近親者の死因を調べることになって、夫家は親戚との付き合いが濃かったのだと思わされた。

母親は一人娘だったので、祖父母・曽祖父母まで分かる。祖父の兄弟も分かる。

父親は6人兄弟で、その子供たち(夫のいとこ)も分かる。

ただ故人となった人の死因については分からない部分もあり、それは食事会の席で姉に聞くこととした。

私が同じことを調べようとしても分からないことのほうが多い。感心しながら夫の言うようにエクセルで図にして持参した。

 

恒例の食事会は地下鉄駅近くの居酒屋で行われ、全10品のコース料理が予約されていた。

  • ちぢみほうれん草ガーリック醤油サラダ
  • たちぽん酢
  • たらたち鍋
  • 刺身活貝盛り8種
  • 開きホッケの焼きもの
  • ハクサイと豚の角煮~生姜みそ~
  • 寒ぶりでゴマブリ
  • 長芋炭焼き
  • 今金町白かぶとみょうがの塩昆布あえ
  • パンナコッタ

まずはビールで乾杯食事も一品食べ終わる前に次のが運ばれてくる。どれも新鮮で美味しい。

実は夫と娘が好きなので料理はするが、私はたちを食べたことは無い。せっかくなので食べてみたら、これが実に美味しい。たちがこんなに美味しいものだとは知らなかった。

その後姉夫婦はワインを夫はハブ酒を頼み私はソフトドリンクを。

デザートが出た頃に、夫が「ちょっと聞きたい事があるんだ」と切り出した。

曽祖父母から始まって、リストアップしたのは全部で50人。そのうち鬼籍に入ったのは22人。老衰が3名で、事故が2名。他は脳疾患か癌で突然死はいない。

突然死した人がいない事で少し安心した。

あとは1月の診察を待つしかない。

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義兄の後悔

2015-10-29 | 夫の実家

失敗したな

お見舞いに行くと、義兄はよくそう言った。

義兄が車を買い換えたのは同居している孫が「車に乗りたい」と言ったから、らしい。

それまで義兄が乗っていたのはマニュアルのセダン。孫も一緒に使えるようにと、車の入れ替えを検討した。孫が「オートマでなければ乗れない、大きな車には乗れない」と言ったので、義兄が選んだのはヴィッツ。けれども義兄がヴィッツに乗ったのは僅か数ヶ月だった。

その車に乗るはずだった孫は今度は「軽じゃなきゃいやだ」と言いだしたらしい。義兄が入院後、ヴィッツは車庫に入ったままとなった。

義兄が亡くなってその車は売却される事になった。それに先立って名義変更など車に関する諸手続きを夫は頼まれた。

手続きを済ませ、車を買い取ってもらうために義姉と共に何社か回ったようだ。安く買い取って高く売るのが商売だから仕方が無いのだけれど、買い取り金額は安いショッピングだよ。安い デコメ

 

兄貴のヴィッツ、買う気あるか

業者が提示した金額に上乗せして、義兄の車を買い取る事を夫が提案してきたのはそれから間もなくだった。

 

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法要のあと

2015-10-19 | 夫の実家

昨、日曜日は夫の兄が旅立ってちょうど四十九日目で、その日四十九日の法要が行われた。

天気は曇り 午後から雨の予報が出ていた。

法要を終えたあとは会食。その後移動して納骨の予定なので雨が降るのではと心配したが、降り出したのは納骨も終えて帰宅の途に就いた頃。法要は無事に終わったけれど、私は途中から鼻がムズムズするし、目はショボショボするしで辛かった。

アレルギーのある私なのでのような症状は初めてではない。今回は何に反応したのか分からないが、その日は何年ぶりかのひどい症状だった。

一夜明けて、それでも今日は少しは良いようだ。

 

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四十九日も終えて、次は喪中はがきの準備をしなければならない。11月の初めには出したいし、それが終わるまでは気持ちが忙しい。

 

 

 

 

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義兄逝く

2015-09-09 | 夫の実家

夫の兄の容体が悪くなったと連絡を受けたのは8月最終日曜日の夜だった。

一週間前にお見舞いに行った時はいつもと同じように会話もして、安定しているようだったのに。

翌月曜日、夫は「仕事帰りに兄の様子を見て来る」と言って出勤した。

私の体調は万全とは言い難い。何かあった時に動けないのでは困ると思い、その日の午前中に病院へ行った。病院内なので携帯はマナーモードにしていた。

気が付いたら夫から着信が

兄が危篤なのでこれから病院に行く。私にもすぐ来てくれとのメッセージ。

着信から時間が経っていたので 病院内であれば出ないかもしれない と思いながらも一応電話をしてみる。出なければすぐ病院へ向かうつもりでいたが、出た。

これから行くと言うと、

もう亡くなったので来なくても良い

その返事に言葉を失った。

8月31日。容体悪化の連絡を受けた翌日で、まさかこんなに早くその日が来るとは思っていなかった。

 

その日の夕方、義兄宅に弔問に伺った。翌日は仮通夜。2日通夜、そして3日に告別式を終えた。続く6日は初七日の法要を執り行い、四十九日となる10月18日に納骨法要を行う段取りとなった。

私の体調は万全とは言い難い。不安を抱きながらの参列でひどく疲れたが、何とか無事に義兄を送る事ができた。

七人きょうだいの五番目に長男として生まれた義兄。77歳を一期に、きょうだいの中で一番先に鬼籍に入る事になってしまった。

義兄が旅立って10日経った。穏やかで飾らない人柄の義兄にもう会えないのだと思うと、やっぱり寂しい。

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一周忌法要

2015-01-26 | 夫の実家

昨年1月25日に亡くなった義兄の一周忌の法要が執り行われたのは、ちょうど一年目の命日に当たる日曜日の1月25日。

この1月は荒天の日が多くて空港の欠航便数は950便近くなり、2011年3月の東日本大震災の時を上回ったという。大雪に見舞われた日も平年より多く、そのため積雪量も多い。

吹雪になると遭難しそうな道を行くので荒れるのが心配だったが、週間予報では1月25日の天気は

そして当日。気温も高めで好天の中、一周忌の法要が行われた。

両親が亡くなって滅多に会う事もなくなった兄弟姉妹。全員が揃うのはこういう時しか無くなった。

今年89歳になる長女は、この一年で腰痛がひどくなったようだ。夫を亡くした事も関係しているのかもしれない。

 

そして私は・・・

通夜・告別式と2日間を過ごした昨年よりも、今年のほうが疲れがひどかった。

          

 

                      あ~、疲れた疲れたよー デコメ

                             

 

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一周忌法要の日に

2014-07-28 | 夫の実家

昨年8月1日に亡くなった義兄の一周忌が、7月27日に執り行われた。

その前々日、金曜日の天気は煙霧と発表された。午後から外に出なかった私は、町の中の煙っている様子に気がつかなかったけれど、テレビニュースで見た風景は確かにもやっている。シベリアの森林火災の影響とかで、PM2.5の濃度も上昇。外出や換気を控えるようにとの注意喚起も出された。

土曜日は雨。翌日、出かけるときは一旦止んだけれど、会食も終わって帰る事には土砂降りの雨。夜中も降り続けたが今朝には上がって気持ちの良い青空が広がった。

当事者家族6人のほか、故人の姉の娘さんが参列。故人の妻である義姉の兄弟姉妹とその連れ合い(連れ合いを亡くした義姉は子供と一緒に参列した)で12人。総勢19人であった。

兄弟姉妹が一堂に会するのは半年ぶり。1月に長女の夫が亡くなって以来だ。

次に集まるのはきっと来年の1月になるだろう。

 

帰り際、義姉たちは口々に「頼むね」と私に言った。末っ子である私の夫の健康管理を頼むということだ。とりわけ87歳になる長女は「私より先に逝かれたら困る」と言う。順番とはいかないだろうけれど、親子ほどの年齢差がある末っ子に先に逝かれる訳にはいかないと言う。

元気な義姉たちだから尚のこと、病を抱えた末っ子が案じられるのだろう。

夫・・・頑張って

 

 

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義兄を送る

2014-01-30 | 夫の実家

夫家の、長女の連れ合いが亡くなった。

夫が年明けすぐに留守にしたので、その間に急な連絡が入ったら嫌だなと思っていたが、連絡があったのは1月25日の夕方 翌26日、午前中に長女宅に行った。苦しむ事もない、穏やかな最期であったと言う。

 

車庫の修理も予定より早く、24日に終わっていた。

デジカメの調子が悪くそろそろ買い替えかと思っていたのだが、それも25日に街まで行って買ってきた。その日、帰宅したあと訃報の連絡を受けた。

 

髪を切りに行こうと思いながら行けずにいた。お通夜は27日になるので午前中に空きがあるならお願いしようと思ったが、午前の空きはない。早くても12時と言うが、長女の住むE市まで1時間くらいかかりそうなので16時には家を出る予定だ。ちょっと間に合わないかもしれない。仕方がないので近くのスーパーの中にある美容室に行ってみる事にした。カットだけお願いして帰ってきたが、かなり下手 

会社を早退して帰宅した夫が「1000円カットの方がまし」と言ったくらいだが、1000円カットではない。

 

26日の午後から吹雪模様だったのだが、27日には晴れ天候が悪いと通行止めになる事も多い道路を行くので、好天は有難い。お通夜の後帰る息子の事も心配せずに済む。

告別式の28日も薄曇りながら、気温は高めとなった。

この時季にしては穏やかな天気のなか、90歳を一期として義兄は旅立った。

 

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