日々のつれづれ

日々うららかでありますようにと願ったけれど、平穏な日々は続かない。
穏やかな老後は訪れるか。

分からない・・・

2011-10-30 | 実家に関すること

父が総合病院の呼吸器科を受診したのは21日の金曜日。

詳しい検査のために4日間の入院が必要と言われ、その場で入院日が決まった。

入院前日に指定の病院でPET検査をするようにとの指示が出たので、25日にその検査を済ませ26日の午前中に入院、予定通り昨日29日に退院する事が出来た。

検査結果は一週間後に出る予定だ。

 

* * * * * * * * * *

21日の診察のあと、私だけ診察室に呼ばれた。

肺がんから骨転移したものとの疑いがあるとの事であった。

今回の検査はそれを確認するためのものだった。

 

遡って、21日の夕方に弟の携帯に電話して水曜日に受診した事、呼吸器科に行くように言われてその日、21日に受診したところ検査入院する事になった事、肺がんからの骨転移の疑いがあると言われた事を告げた。

それから30分しないうちに義妹から電話があった。

義妹に話をするのは弟が帰宅してからと思っていたので、まさか職場から自宅に電話して即時に伝わるとは考えていなかった

私が電話したのが義妹であって、すぐ弟に連絡すると言うのなら分かるのだがPET検査も入院も翌週の事なのに

職場から自宅に電話連絡するほどの事ではないだろうに。

分からない・・・

 

それなのにPET検査日にも、入院日にも何の連絡も無い。21日の義妹からの電話は何だったのだろう

分からない・・・

 

入院して2日目の27日。

弟が休日なのでもしかしたら朝のうちに病室の確認などの連絡が来るかもと思っていたが、午後の面会時間に直接病室に来た弟夫婦。 

結果も今後の事だし、検査について聞かれた事を話した程度でこちらから話題を振る事も無くいた。

義妹は弟に

ここで倒れたりしないでね

あの時、あそこで倒れたものね

なんて言っているが私は知らん振り

病院に見舞いに来ていて言うような事ではないだろうに

いつも相手の耳を意識して弟に話しかける義妹。弟が多忙だとか体調が悪いとかをそれとなく聞かせるのはもう習い性になっているのだろう。

義妹は自分の親・兄姉に対してもそれとなく大変さをアピールするのだろうか

分からない・・・

 

 

私は父の事で大変な思いをしても、ストレスで体調を崩しても、弟たちにいちいち言う事は無い。

夫が大きな病を抱えてしまった事も弟たちは知らない。知らせるつもりも無い。

 

 

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おばあちゃんを楽しんだ

2011-10-23 | 夫と子供と孫のこと

遠く離れているために年に1,2度しか会えない娘家族。

その代わり会う時は数日を共に生活する事になる。

今回訪問の目的は孫の運動会だった。

まだ2歳になったばかりで短い時間の運動会だったが、何をしても可愛さ溢れる姿を楽しんだ。

 

今回の滞在では思いがけない触れ合いを楽しめた。

ゴミ出しに行くのに、小さなゴミを孫に持たせて一緒にゴミステーションに行った。

自宅では時々、ゴミ袋を持った幼い子が親に手を引かれてゴミ出ししているのを見て微笑ましく思っていたので、一緒にゴミ出しできる幸せをかみしめた。

 

朝、娘と孫が起きてきて、台所にいた私に「なにしてるの?」という娘の声が聞こえた。私が様子を見ようとそちらへ顔を出すと孫が洗面所やトイレの戸を開けている。

私の顔を見て孫が笑顔で「ばあちゃん」と言った。ばあちゃんを探していたらしい

探してもらえるなんて、こんな嬉しい事は無い。

 

夜になって、入浴の時に娘が「パパと入る?ママと入る?」と聞くのだが、孫は「ばあちゃん」と答えたようだ。

その時私は台所にいたのでその場には居合わせなかったのだが、孫が台所の方にやってきて「ばあちゃん」と呼びかける。

娘が「ばあちゃんとお風呂に入るって」という。

入浴後にタオルで体を拭くくらいはさせてもらえるかと思っていたけれど、まさか二人で入浴する事になるとは思ってもいなかった

2歳の、この時期に「ばあちゃんと(お風呂に入る)」と言われるなんて

 

月曜日の祝日と翌火曜日に一泊で娘と孫と3人で箱根へと出かけた。

親子水入らずで楽しんだら良いという婿さんの心配りだった。

2歳の子供連れで娘は大変だっただろうと思うが、娘夫婦の気遣いは本当に有難いものだった。

おばあちゃんを楽しんだ得難い一週間であった。

 

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受診の日

2011-10-20 | 実家に関すること

娘宅から戻って一週間以上が過ぎた。

留守にした後は雑用がいっぱいで忙しいのに我が家の前を通ったからと友人が来たり、日曜日には息子たちが来たりで慌ただしい日々が続いている。

その中を毎日父の様子を見に行って、ようやく父も私が留守にする前の状態に戻ったようだった。

 

先週、父の傍にいるときに施設医が居室を訪れた。

入浴の際にスタッフさんが父の右鎖骨下にこぶ状のものがあるのに気が付き、それを診るためだった。

触ると痛いと言うし、念のために整形外科の受診が決まったのは14日の事。

9月に発熱の連絡を受けた後も夜になると熱が上がるという状態が続いていたので、ついでに循環器科も受診する事になり、昨日19日がその日だった。

13時に間に合うように家を出て受付を済ませ父を待ち、

整形でレントゲン写真と触診、問診の結果、腫瘤の下の骨が変形しているようなので

がんセンターで詳しい検査を受けるよう勧められた。

次に循環器の診察があり、肺に影が見られるとの診断を受けた。肺炎の心配は無さそうだが呼吸器科で診てもらった方が良いと言う。

レントゲンには腫瘤も写っており「これは何だろうね」という医師に、付き添ってきたスタッフさんが説明するとすぐ断層写真を撮る指示が出た。

断層写真を見ての診断は

肺になにかあるね。これが腫瘤の原因かもしれないし、発熱もそこから来ているのかもしれない。早急に呼吸器科を受診したほうが良いというもの。

循環器科でそう言われた事もあり、先ずは呼吸器科で診てもらい、その結果次第でがんセンターへ行くかどうか考える事になるだろうと思われる。

その日、病院を出たのは17時半を過ぎていたので、呼吸器科の診察予約については翌日の相談という事になり、私は今日も午後から施設へと出向いた。

少しでも早い受診が望ましいとの判断で、明日金曜日に受診させたいと言う。

明日は私も歯科治療の日なので、午前・午後と病院を掛け持ちする事になりそうだ。

 

娘宅から戻って、ゆっくりした時間を持つ事が出来ず疲れも蓄積してきている。そろそろ限界かなと思いながら、もう少しと自分に言い聞かせている。

 

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娘宅から戻って

2011-10-15 | 実家に関すること

京都から戻って2週間後。

今度は保育園に通う孫の運動会を見るために(一人で)横浜へと旅立った。

京都へ行く前から予定していたもので、京都旅行の最中に父の発熱・嘔吐の連絡を受けたこともあり、ギリギリまで行けるかどうか心配したがスタッフさんにも頼んでなんとか予定通りに行くことができた。

父には「娘のところへ行ってくるからね。帰ってきたらすぐ来るから」と言い聞かせたのだが、なんだか寂しそうで、すっかり私に依存しているんだと感じての出立だった。

 

帰宅した翌日、早い時間に父の所へ行き・・・

父の居室へ入ったとたん、あまりの変化に驚いた

ベッドから私の顔を見る目はうつろで、私のことを認識できないのかとも思ったが「わかる?」と聞くと頷く。

聞けば、翌日から軽い発熱。日曜日には38度台まで上がったが、その後は落ち着いていると言うし、食事も何とか出来ているようだ。

投薬の影響を疑ったが、いつもと同じ薬しか服薬していないという。

心配で翌日も様子を見に行った。

前日よりいくらかましという感じではあったが、やっぱり反応は薄い。

 

3年ほど前、ケアマネさんとの面談の折に「しょっちゅう来てるのに何にも反応がないんですよね」と言った際に返ってきた言葉を思い出した。

お父さんは何も言わなくても、娘さんが来なければ見捨てられたと思うんじゃないかな

 

私が行かない間にも義妹は来ているのだが、やはり私が顔を出さない事が不安だったのだろうか。

特別話をする訳ではなく、ただ傍に座っているだけなのだが、この3日間いつもより長い時間を父と過ごして、今日は少し状態が良くなったような気がした。

 

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かばん屋の相続

2011-10-05 | 趣味の時間

京都での、夫の希望見学場所は清水寺・二条城・金閣寺・銀閣寺。そして相続争いで一躍名をはせた一澤帆布へ行きたい

一澤帆布は知恩院バス停近くなので清水寺周辺を歩き回った後、八坂神社から徒歩すぐの知恩院へ向かった。

夫は境内に入ったが、足が痛くなってきた私は境内前の椅子に座って待つ事にした。夫も足が痛いと言っていたが、それでも階段を上って拝観しようという元気はあるようだ。

知恩院から一澤帆布へと向かった。店内は大勢の客で賑わっていた。

ここで予定外の出費があったが、夫が一澤帆布へ行ってみたいと言い出した時からそうなるだろうとは思っていた

 

で、一澤帆布の相続争い。

2001年、三代目の信夫氏が亡くなった。

信夫氏には4人の息子がいて、次男は夭折したので残る3人の息子が相続人となる。

家業を手伝っていたのは三男と四男だが、四男は健康上の理由から退社。三男の信三郎氏が代表取締役を務めていた。

信夫氏は遺言書を残しており、それの内容は会社の保有株67%を三男夫妻に、33%を四男に、銀行預金のほとんど等を長男に相続させるというもので、これによって株の2/3を握る事になる三男が店を相続する形となるはずだった。

しかしこの後長男が株の80%を長男に譲るという新たな遺言書を提出。

この偽造を疑って三男が提訴したものの「無効と言える十分な証拠がない」として敗訴。

後継者争いとして新聞等にも報道され、一澤帆布の名は広く知れ渡る事になった。

 

それまで長男は家業に全く関わりを持っていなかった事もあり、世論は長く家業に携わってきた三男信三郎氏に味方したようで、現在賑わいを見せているのは信三郎帆布だ。

 

この問題が創作欲を刺激したのか、池井戸潤が「かばん屋の相続」という短編集を上梓した。

池井戸氏が世間の耳目を集めた事件を素材にして書いた作品は何作かあって、どれも興味深く読めた。

「かばん屋の相続」も読んでみたいと思って図書館に予約を入れたのは5月末。

現在の順番は23人目だ。

コメント (2)
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