goo blog サービス終了のお知らせ 

日々のつれづれ

日々うららかでありますようにと願ったけれど、平穏な日々は続かない。
穏やかな老後は訪れるか。

十七回忌法要の日

2013-09-29 | 夫の実家

義父が亡くなったのは1997年9月26日。92歳の旅立ちであった。

あれから16年。祥月命日の9月26日に長男宅で十七回忌の法要が営まれた。

次女と四女は連れ合いを亡くしている。四女は8月に夫を亡くしたばかりだ。次女も四女も息子と来た。長女も娘と一緒だった。90歳になる長女の連れ合いは、もう出てくるのは大変なようだ。

三女、五女、そして次男(我が家)は夫婦で参列。長男宅の娘も加えて総勢16名での法要となった。

 

お寿司での会食も終わった頃、長男が「みんなに相談がある」と切り出した。

夫家のお墓は田舎の山の上、夫実家のすぐ近くにあった。私たちが結婚して間もなく義父と、長男、次男(夫)で墓石を建立しなおした。

その後、菩提寺とのお付き合いからだろう。納骨堂を購入、先祖の遺骨を分骨して納めた。

義母が亡くなって、お墓を継承したのを機会に長男は改葬を決め、墓石も新しくして現在に至る。

長男の相談とは納骨堂を閉めたいということだった。

長男の近くに座っていた夫が賛意を示しているのは聞こえたが、姉妹は自分たちの話に夢中で長男の言う事が耳に入らない様子。

長男としては一応相談したのだし、次男は賛成したのだから閉める方向で進めるのだろうと思う。

 


義兄の旅立ち

2013-08-06 | 夫の実家

58年ぶりに26日間の夏日を記録した7月も終わった8月1日、17時過ぎに夫の姉(四女)の連れ合いが亡くなった。昨年10月に脳梗塞で倒れて救急車で病院に搬送され覚悟して下さいと言われた。

一度も意識が戻る事はなかったものの9ヶ月を持ちこたえて、79歳を一期としての旅立ちだった。

 

姉と結婚したのは昭和41年。

その前年、出産間もなくの娘と二歳の息子を遺して亡くなった奥さんの後添えとして迎えられた。

二人の子供を育て上げた姉夫婦に、しかし穏やかな晩年は訪れなかった。

大工さんとして働いていた義兄だったが仕事中に足に怪我を負い、それが原因で足や腰に痛みが残り長く苦しんだ。その後大腸がんに侵され人工肛門を造設、手術は成功して10年以上が過ぎたのだが・・・

義兄が脳梗塞で入院したのは2012年が明けてすぐだった。リハビリに励んだ結果、僅かながら言葉も出るようになり、支えられながら歩行も出来るようになって退院したのだが、その2ヶ月後には再び脳梗塞を起こし、意識が戻らないまま最期の日を迎えた。

 

経済的にも決して楽ではない晩年を過ごし、義兄には辛いことの多い人生であったかもしれない。  

                     


今年は中華

2008-12-15 | 夫の実家
今年も義姉夫婦から会食のお誘いがあって、土曜日の夜出かけてきました。
義姉夫婦との会食はこれで3回目になります
最初の年はイタリア料理、昨年は韓国料理、そして今年は中華料理でした

場所は当市屈指の繁華街、ススキノにある東北飯店
シェフもスタッフもChineseのようです。
お料理は全10品。とても美味しく頂きました
デザートにアイスクリームを頂いて、2時間の会食を終えました。

若い人はまだこれからという時間
「コーヒーかスイーツでも」と誘われ、喫茶店へ
また来年を約束して帰宅したのは9時30分過ぎでした

三回忌法要

2008-07-01 | 夫の実家
29日、日曜日は義母の三回忌法要でした。
一昨年、7月2日に変わってすぐの時間に亡くなりました。

98歳でしたが、88歳で連れ合いを亡くした後一人で暮らし、掛かりつけの病院にケアハウスが併設されたのを機にそちらに入居しました
亡くなる3年ほど前に風邪で入院しましたが、その間に認知症の症状が出てケアハウスは退去せざるを得なくなり、夫のすぐ上の姉(五女)が義母を引き取る事になりました。
その五女は嫁ぎ先が実家の近くだったこともあり、それまでも何かと親の事を気遣ってきていたのです。
夫は親の事は長男が見ると思っていたようで、五女が見るというのを知った時には驚いたようでした

義母は農家の一人娘でしたから養子を取り二男五女の七人の子を育てましたが、長女は80に近いし、次女は子供と同居。三女も四女も足・腰の痛みを抱え、更に四女の連れ合いは持病があります
長男は家が狭いと言って引き取る気は無いようだし、次男である我が家は私が自分の親を介護している状態です。
五女は親を引き取れるのは自分しかいないと思ったと言います。


95歳まで一人で暮らした義母ですが2005年10月に療養病床に入院するまでの2年間を五女の家で過ごし、そして9ヶ月の入院の後に亡くなったのです。


法要の日は7人の子供とその連れ合い、孫も殆ど結婚しているので夫婦で参列し、更にひ孫も何人か列席し、内輪と言っても総勢40人ほど

親がいるうちは顔を合わせる機会もあった兄弟姉妹も、親が亡くなってしまえば会うことも無くなりました。
そう思ってみれば親の力は大きいです。


今度の土曜日、7月5日は私の母の三回忌法要になります。


会食のお誘い

2007-12-01 | 夫の実家
夫の母が連れ合いを亡くしたのは89歳の時義父は入院していたのですが毒を盛られてると言って病院不信になり自宅に戻って一週間で亡くなりました。被害妄想・・・認知症が出てきていたのだと思います。92歳でした。
その後一人暮らしからケアハウス入所を経て、義母も認知症を発し7人いる子供のうちの6番目の子供(五女)の家に身を寄せました。義母96歳の時でした *我が夫は次男、末子になります*

私が仕事をやめた時、義母はまだケアハウスにいたので曜日を決めて毎週訪ねるようにしていました その流れのまま週に一度、義姉の家に身を寄せた義母を訪ねました。曜日と時間を決めて訪ねるようにしたのは、義姉の予定が立ちやすいだろうという思いがあったからです。
私が実家の事をしている上で、義妹が実家に関わってくれる日の予測がつかなかった経験を踏まえてのことでした。

義母の四十九日の折に義姉から落ち着いたら食事をご馳走したい との話がありました。
私にはとても助けられたから、と言うのです。
義姉が世話してくれたから兄弟姉妹が安心していられた。その思いから、ただただ毎週訪ねただけなのに毎週来てくれたのはうららちゃんだけだから。本当に助けられたからと言われた時、実母に「よくやったね」と言って貰えているようにも思ったものです。
12月にイタリア料理のお店に招待されて、義姉夫婦と私たちと4人で楽しいひと時を過ごしたのです

あれから一年、その時だけだと思っていたのに今年もお誘いがありました。
今日これから、韓国料理を楽しんできます