子供の頃、席替えでドキドキした覚えはないだろうか?
年度始まりのクラス替えの発表に次ぐ重要なイベントだったと記憶している。席替えの方は学期ごとだったのか、月替りだったのか記憶がはっきりしないが、楽しみにしていた。勿論関心があるのは何処の席につくことではなく、誰とペアーになるかだった。
初恋というほどではなかったが、気になる女の子がいたし、隣だったら嬉しいと常々思っていた。逆に、この女の子は絶対に嫌だというのも確かにいた。従ってくじを引くのと同じで、当たりハズレがあれば、ドキドキしてしまうのも無理は無い。
なぜこんな事を思い出したかというと、3学期に入って小1の娘のクラスでも席替えがあり、入学以来好きだったという男の子と隣同士になれたと娘に聞いたからだった。最初聞いたときはそれこそ「ヘー」で大したインパクトもなく、埋もれた記憶も蘇らなかった。
しかし、よっぽど嬉しかったのだろう、昨夜お風呂に入った時にまたその話をして、曇った鏡の上に自分とその男の子の名前を相合傘に書き込み得意げになっていた。そして、続けてパパとママ、お兄ちゃんと彼女の名前を相合傘にしていく。自分も仲間入りしたつもりになっているらしく、とっても嬉しそうだった。その仕草や笑顔に彼女の小さい心に目一杯幸せな気持ちが溢れそうになっているかと思うと、とっても、いとおしくなって思わず抱きしめてしまった。当然のように嫌がられてしまったが、私はとても幸せな気分だった。
それにしても、地獄耳である。お兄ちゃんの彼女の名前は教えてないのだ。家族間の話を聞きかじって記憶していたようだ。迂闊なことは彼女の前で喋れない。気をつけなければならないと痛感した。
再び、席替えの話。いつからかは知らないが今は学校でも1人1個の机の時代だ。我々の世代は木で出来た2人で利用する長机だった。従って本当にペアーで座っていた。机の上は長机なので、ここまでが自分の領域だと主張して相手の侵入を許さないなんて言い合いを良くしていたものだ。娘のお蔭でとっても昔の懐かしい記憶を思い出すことができた。
そして、この長机の記憶があるのは一体何歳ぐらいまでの世代なのだろうか?と、ふと気になった。
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孫がお嬢様と同じような事を嬉しそうに話していました。
年齢関係なく、女心なんでしょうね。
真っ直ぐに育って欲しいものです。
あるある。もう何年前でしょうね。
残念ながら机は確か一人掛けだったよなー。
いつも、ヒゲオヤジさんの娘さんの記事にはうらやましいです。
僕の頃も既に机は一人一つでしたが、二つをくっつけてペアになっていました。
机と机の間に下敷きで壁作ったりしてましたね(笑)懐かしい。
下敷きとかカンペンケースとか分度器とかのアイテムも思い出すと懐かしいです。
お嬢ちゃんは、淡い淡い初恋でしょうね。
私にも覚えが有ります。1年生~6年生まで、此れでも毎年副級長(当時はこんな風に言ってました)に選ばれてましたが、其の時の級長さんが好きな子だと良いなぁなんて思ってました。だけど何故か好きでない子と組んでましたね。
一人机に成ったのは中学位だったかな?
定かじゃ無いですが・・・
お孫さんも同じような事を言ってらっしゃったようですね。
これはやはり仰る通り、女心ですね、年齢は関係ないようです。
息子の時はついぞ、この手の話を聞く事は無かったですね。男と女は違う動物だなって感じました。
お久しぶりです!
がぼさんの所は、もう1人机でしたか、時代というより地域性の問題なのかもしれませんね。
さすがに中学は1人机でしたが、どんな風に並んでいたかさっぱり思い出せません。
1人机なのに境界は作ってましたか、それは驚きです。
長机の場合は切れ目がないので、確か測って境界線を入れたりしてましたね。
子供の考えてる事って大差ないんですね、いつの時代でも。
どうしてだったのかな?
その子は私のことを好きになってくれたみたい。でも、私はその気がなかった。
中学生になったら、私のほうが好きになった。初恋だったのかもしれない。そんなすれ違いを思い出しました。
やっと同じ長机派の方がいらっしゃいましたね。
愛媛と大分とは海峡を隔てて近いせいでしょうか(笑)
誰もいなかったらどうしようかと思いましたが良かったです。
私の時代は既に委員長、副委員長でしたが確かにこれも立派なペアーですね。
そんな風に考えた事も無かったので新鮮でした。
席替え(しょっちゅうやってます)での感動は残念ながら味わえないらしいです。笑
あ、昭和43年生まれの私は完全分離机でした。