こだわりの生活

ヒゲオヤジの何でもやってみよう、見てみよう挑戦日記

ふるさと

2007-03-24 10:40:29 | 旅行記

Beppu1約1年半ぶりに故郷・別府へ家族で帰省してきた。

先週の土曜から4泊5日の滞在だった。

久しぶりに実家で、ノンビリするつもりだったが、何かと雑用が多く、5日の滞在はあっという間に過ぎてしまった。

今回の帰省は息子の高校入学の報告・祖父母の墓参りが主体だったが、突然、親父のパソコンがトラブルに見舞われ、その解決に奔走するなど、忙しかった。

また別府には夫婦双方の実家があるので、それぞれに顔を出さねばならず、何かと気を使う。

本当は、しみじみとノスタルジックな気分に浸って古き良き過去を振り返りながら、故郷のことをブログ上に綴りたかったのだが、とてもそんなムードに浸る余裕も時間も無かった。

Beppu2だが、そうは言っても、帰れる故郷があることが嬉しいし、実家を離れて30年経っても、帰れば違和感なく土地に溶け込むことができるのは故郷の有り難味でもある。

ただ、それは実家に両親が健在しているからこそであって、同居している妹夫婦だけになってしまったら、やっぱり帰りづらくなってしまう気がする。

凄く親しい友人は別な地方や東京にいるので、格別に会いたい友人がいるわけでもなく、後は叔父夫婦がいるだけだ。

そんな故郷だが、やはり、30年も経てば、月日は人や街を大きく変えてしまう。

実家はもとより近所の街並みなど、殆どが変わってしまい、部分的に昔の面影がある場所が点在するだけだ。

高校卒業以来、変貌を遂げた街だが、何十回も帰省しているので自分自身の記憶も曖昧で懐かしさの対象が自分が居た時からのものなのか大学時代の頃の帰省した時の風景なのか、分らなくなってしまっている。

単純に住んだ年数でいえば、3歳から18歳までのたった15年に過ぎず、故郷を後にしたその後の30年の半分に過ぎない。

幼い頃から多感な少年期を過ごした場所や時期というのは、人間にとって特別な感情や思いを抱ける場所なのだろう。

”ふるさと”は土地勘のある住んだことのある場所の一つに過ぎないハズだが、特別な場所として脳裏に刻まれていて生涯忘れ得ない場所になってしまっている。

故郷を離れずに、その土地でそのまま生活してきたら、そんな感情もないわけで、今の自分にはちょっと想像もできないことだ。

生まれて育った土地で、そのまま一生を終えるというのは、まるで回遊魚が水槽で一生飼われるような感覚があって、私には理解できない。

もっとも東京のような大都会で生まれ育ったなら、私も水槽で飼われてもいいと思うが・・・。

そういう意味で、故郷の無い人というのは故郷というものをどういう風に感じているのか、とても興味がある。

高校時代、こんな田舎に一生住みたくないと飛び出して東京行きを決めた私だが、故郷を思う気持ちを勿論、将来楽しみにして出て行った訳ではない。

しかし、現実に千葉の成田に住み、生活に追われながら、絶えず別府という”ふるさと”を想いながらの日々は悪くない。

多分、リタイヤしても生活の拠点を移すことはないだろうが、いつでも帰れる故郷があるというだけで、妙に安心できるのだ。

やっぱり”ふるさとは遠きにて想うもの”なのだろう。