tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

団地住まいのメンタリティー

2005年11月03日 22時05分14秒 | 都市論
昨日の続き。

そもそも今回の話の発端は月曜日の朝日新聞に載った特集が発端で、団地に住む人々は、常に隣人の生活を監視していた。この監視とは、隣人の生活水準のことであり、それは隣人がいつテレビを買ったとか、クーラーを、冷蔵庫を・・といったことを知りたがり、その水準を子供が「お邪魔」して調べるといった具合であり、隣人が、文化の「最高水準」であった、ピアノを買うと、すぐに自分のところも買うと言う、いわば生活水準の同質化や均質化が行われていたのだ。

それでいて、60年代や70年代でも非常に珍しかった、バス・トイレつき、上下水道完備、都市ガス完備という「破格」の生活条件ににもかかわらず、こうした団地に住む人々の不満は「狭い」という一言に集約され、いつかここを抜け出す(引っ越す)という目標が作られる現実があった。実際、どこそこの家はどこへ一戸建てを買って引っ越していったと言うのが、主婦同士の会話の一つであり、不満(ルサンチマン)であり、夢であったことを母から聞いた。

実際に母は、引っ越すと言うことが近所に知られると、嫌味にも似た憎しみを相手から受けたそうだ。

どうも聞くと、こうした住宅に住むのは、かつて広い家に住んでいた人が多かった。勿論、その家の持ち主は親世代であり、当人たちの社会的な収入などで購入した家ではない。確かに、都会にあるような長屋的な住宅を子供の頃からの「家」としてきた人はいたが、大部分の入居者は農家の一軒家といったような、集合住宅に住むこととは縁の無かった人が多いようだ。ここにはやはり、高度成長期の労働力の移動を背景とした、都会あるいはその周辺への人口集中があった。

それゆえ、かつて住み慣れた「広い実家」から出て、まだまだ昔のような近所付き合いが残った壁一枚向こうが隣人の住居という場所ではストレスにも似たような状況が起きたことも考えられる。

いま、こうした集合住宅に住むことによってもたらされたメンタルとは何であったかを考えているところだ。


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