tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

空虚な空間の否定(阪急コンコース取り壊し)

2005年10月13日 14時01分39秒 | 都市論
阪急グループの創立者、小林一三は1873年山梨県で生まれた。
小さい頃に両親をなくし、親の愛情を知らぬまま育ったことは否めない。
成人し、東京の慶応義塾へ入学する。慶応在学中は、山梨日日新聞に小説を連載するほどの文学青年だったが、卒業後は、三井銀行に入行する。9年在籍したが、彼にとっては、「人生でもっとも不幸だった時期」であったらしい。入行後すぐに大阪勤務を命ぜられる。初めて大阪に赴任したとき、彼は次のように感じた。(『逸翁自叙伝』)

二十一歳の夏であった。明治二十六年九月、日は忘れたが十日前後の午後四時ごろと記憶する。その前日東京新橋駅から汽車に乗って、車中一夜をあかし暑さに疲れ果てた昼過ぎ、朝日ビールの大きな広告を右手に見て、次がいよいよ大阪だ。
荷物を片付けて、独りぽっちの梅田ステーションに降りたときは心細かった。

このとき彼が降りた駅は、国鉄である。国鉄の駅は広さだけが支配する空間であった。身寄りのいなかった小林にすれば、どこの土地で生きようとかまわないと考えるのは素人の判断である。彼にはこだわりがあったのだ。そこから見ると梅田のコンコースは言うほど広くないが、温かみのある空間であることはほとんどの人が頷くであろう。

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