tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

郊外の一歩手前「団地」

2005年11月02日 19時24分04秒 | 都市論
1990年代の後半、社会学や心理学、あるいは工学さえも巻き込む形で、「郊外」論が盛んだった時期があった。もちろん今でもくすぶっているのだが。

人々が都会から離れ、そうした郊外に生活の基盤を求めるようになって、そこで起こるいい意味でも悪い意味である「問題」。しかし、いきなりこうした人口の移動が起きたわけではない。都会から同心円を描くようにして、徐々に開発が進められていったことは誰の目に見ても明らかである。そうした移動の初期の段階を眺めてみると、団地の建設というキーワードにぶち当たる。

高度成長期であった1960年台から1970年代にかけて、盛んに公団としての団地が建設された。奈良では一部高級住宅地と化してしまった学園前や高の原にこうした建物が存在する。tyokutakaも幼い頃、この高の原ニュータウンという団地に住んでいた。両親は結婚してしばらくたった後、ここへ移り住んだ。

ここで社会学を研究している人間にとって、ひとつの疑問が起こる。
こうした住宅に入居する社会階層、おしなべてその人々の出身階層がどのようなものであったのかという疑問である。というのも、東京の周辺ならばこうした住宅に入ることは普通である。特に高度成長期、農家に長男を残し、その次男三男坊が都会に出て住む場所を持つのである。しかし、ここは関西、しかも奈良である。

母に聞くと、どうも社会階層的に高めの人々が集まってくるところであったと聞く。
書く時間がなくなったのでまた明日。

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