tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

予備校が潰れていく

2005年11月19日 23時25分46秒 | ニュース
本日の朝日新聞朝刊。しかも一面に大変衝撃的な記事が載った。
タイトルは、
「大阪予備校来春廃校へ」

大阪予備校は関西でも大手の予備校で、50年の歴史を誇る。主に「大予備」の名前で有名だった。来春には私の出た高校も合併により、奈良県公立高校では、なかなかの名門、郡山高校になるのだが、その郡山高校の卒業生が多く通う予備校として知られていた。

授業方式は、長机に腰掛ける方式で、前に座りたければ、早くから教室に入らなければならない方式。私も予備校に通ったが、同じような設備でも在籍した駿台予備校は座席指定制だった。それも毎週変わるというもの。

私が在籍した当時は、とにかく人間の多い時代で、どこの予備校もあふれかえっていた。いまはそうでもないらしい。

私の通った駿台予備校も大阪ミナミの難波のはずれである南堀江にあった。今でこそおしゃれなブティックやカフェが立ち並ぶ町に変身したが、当時は倉庫ばかりが立ち並ぶ、荒っぽい街だった。そこへ通うためには最初、地下街を通るのだが、ここではホームレスが常に寝転がっていた。人が多く、金に余裕が出て、これ幸いと
予備校側も文房具や問題集を扱う「ショッピングセンター」を近くのビルの1階に間借りしてオープンさせたが、3年ぐらいして近くを通ると、閉鎖されて、ブラインドが下りていた。ちょうど、コンビニが潰れたあの光景である。


実は、アカの他人と飲みに行って、その人が同年齢の場合、予備校のネタで盛り上がることが多い。今の会社の上司も私とは一学年違うが、「私、駿台。彼、河合塾」で大いに盛り上がった。

新聞記事を読んでいると、テレビや新聞広告で派手だった両国予備校も閉鎖されたらしい。ちなみに、両国予備校に関してはウィキペディアで次のように出た。

両国予備校(りょうごくよびこう)は、東京都と大阪府にあった予備校。2005年2月8日に経営難を理由に閉校した。CMでの「医歯薬理工系、文系学部受験の名門」という言葉が有名である。
受験生の間では、強力な監督体制で自由が無いため“牢獄予備校”と揶揄されていた。 医歯薬系に力を入れ全寮制・峻厳な規則のスパルタ式で有名。また、通学生でも入学できた。校長の高畠金蔵はエール出版社から本を出しているほか、ラジオたんぱ(現ラジオNIKKEI)でレギュラー番組を持っていた。
JR総武線で錦糸町~両国(東京都墨田区)付近にさしかかると、同予備校の建物が多数目に入った。大阪では近鉄奈良線・大阪線布施駅(大阪府東大阪市)に入ると、同予備校の大阪校舎が目に入り中で勉強している生徒が多数見受けられた。経営者は高畠金蔵から東京都墨田区の総合学院になったが、経営権委譲なのか校長の所有の会社なのか不明である。 浪人生の激減で生徒が集まらなくなったことや東京校は河合塾の医歯学部専門の校舎も出来るので使命が終わったと判断し、閉校することになった。東京の両国本校舎は更地になっている。
東京校はプラチナ予備校と両国の元講師により両国プラチナ予備校として発足。 大阪校は講師の不当解雇問題があったのだが収束し両国の元講師でもある奈良の北岡総合研究所がオーナーとなり両国BESTとして発足

そー言えば、確か両国のテレビCMには山本陽子が出ていたっけ。家で母が読む『ミセス』に時々出ているが、最近はどうしているのだろうかと思っていると、次のように出ていた

テレビCM
校長の趣味で起用されていた俳優・山本陽子が“Do your best!”と、受験生を鼓舞する。もしくは受験生の両親をターゲットにしていたのか謎である。放送時期は不明だが、1990年代に首都圏や広島圏で放送されていた(一時は全国ネット放送されていた)のは確かである。

ホウ。なかなかバブリーな予備校だったと改めて確信する。
しかし、どこの予備校も似たような状況で、私があの時代に在籍した予備校で見たのもまた、バブルの残光でもあった。

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