tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

ジャン・マリー・ギュスターブ・ル・クレジオ

2008年10月09日 23時56分06秒 | ニュース
私の出身学部はフランス文学科だ。そして、大学は私たちが卒業した次の年から学科名称を変更し、「フランス語フランス文学科」にした。その理由は、「フランス文学科」ではフランス語が運用できるというイメージを世間が持ちにくいという、いわば就職して行く学生に対する配慮からだという。しかし、ゴロが悪いし、こちらは19世紀写実主義で卒業論文を書いたから「フランス文学科」で一向にかまわない。

さて、この種の英語をのぞく外国語系学部は何処もそうだが、大学に入学してから初めて学ぶという人間が多い。私もそうだ。ただし、私の場合、英語が苦手だった。というよりも、外国語の勉強の仕方がわかっていなかった。それで入ってから当初はかなり苦労した。単語は一語一語辞書を引かなければならない。文法は授業を聴くだけではだめで、参考書を新たに買って来て、ノートをまとめ直すということもやった。クラスの他のメンバーはテキストにカタカナで発音を書いていたが、私は当初これをおこたったので、読めるという意味での正確な発音はかなり遅れた。本当はヨーロッパ系の言語は、ローマ字読みであることが多い。そこへ特定の綴り字の並びのときは、決まった発音があって、それも覚えなければならない。発音の正確さは、3年次になっても出来ていなかったと思う。

ただ、授業はそこまで悠長ではない。一回の授業で10行程度のテキストを読んで、簡単なおしゃべりを行うのはせいぜい1年次で、2年次ではペーパーバックの2ページは確実に授業で読ませられる。そして、その2ページに関しては、いつ指名を受けても答えられるように、確実に訳をつけておかなければならない。まして、これはひとつの授業である。他にも作品研究や作文などの授業があって、その準備もしなければならない。

学部2年次といえば、初級文法を大急ぎで習ったあとで、ほとんど読解の能力を持たない。その中で、私のフランス語力をせいぜい人並みにしてくれたのが村尾先生だ。その年、村尾先生が指定した教科書は「パヴァナ」という作品だった。作者はル・クレジオである。ル・クレジオはかつて、前衛的な作家として、哲学的な難しい作品を書いていた作家だった。それは1960年代から1980年代初頭の話で、80年代後半から90年代初めにかけて、自らのルーツや童話的な作品を多く出すようになる。私たちは、その童話的な作品を購読の材料として用いた。

私も必死だった。まともな訳を付けて、まともな発音を行うためにネイティブが文章を朗読するテープをなんども聞いた。その結果、発音に関しては正確さが見え始めてきた。フランス語は直前に語られた内容を次の文章で繰り返さないために中性代名詞という用法を使うが、この指摘は確実にできるようになった。

そしてまた、一冊の本を読み切ることなどない学校の授業で、その年私たちはすべて読み切った。

授業の後半で、その本の訳本が出たが、日本語に直されたその文章は私にとってあまり価値がなかった。本そのものが薄く、買うほどではないというのもあるが、すでにその時点でフランス語から日本語に自分で訳すことが、私自身にとって無上の価値を持っていた。そしてまた、それが出来るという自信がついてきた。

その授業から10年以上がたって、私はようやくフランスへ行くことが出来た。現地の本屋で何冊が本を買ったが、それらの中にはル・クレジオの作品があった。すでに日本では訳本の出された作品ではあったが、それはそれで原書とつきあわせれば、勉強になる。

今年、ジャン・マリー・ギュスターブ・ル・クレジオはノーベル文学賞に輝いた。この作家を知らない日本人は多いと思うが、仏文学にアンテナを持っている人間にとっては、メジャーな作家ですらある。実際、何冊も訳本が出ているくらいなのだ。これを機会に何冊か再販されることが楽しみだ。

Félicitations! Le Clézio

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