行ったことのない遊泳場なのだが、朝、地下鉄を乗るときに必ず張り紙を見かける。その張り紙の内容も、「大阪南港海水遊泳場は閉鎖中です」という内容である。
青空形式のプールそのものが最近減っている。まず遊園地の廃業に伴う取り壊し、水不足など。奈良のプールでは、水不足を理由に今年はオープンしていないとか。南港の遊泳場も同様の理由だと考えられていた。しかし、どうも理由が違うみたいで、ホームページを見てみると、老巧化が理由らしい。
確かに、年中潮風が吹く場所だから、施設も老巧化しやすい。
大阪の南港とは埋立地で、現在は公団を中心とした住宅が多くある。1960年代の前半から、大阪では千里ニュータウンの開発に重点が置かれたが、1970年の大阪万博をピークに、「山側」の開発は一段落し、海の方へ伸びていった。1970年代中ごろから、こうした埋立地の開発が盛んになり、1980年代前半には一つの街を形成した。
家にあった、南港の整備計画概要のパンフレット。そこに描かれた挿絵が子供の目に素晴らしくみえた。
きちんと整備されたその街には夢があって、運転手の要らない交通システムの「ニュートラム」に乗ってみたく、父にせがんで、南港まで行ったことがある。
大阪万博の残光は、少なくとも1980年代まで残っていたのかもしれない。
もうその残光は、ない。
青空形式のプールそのものが最近減っている。まず遊園地の廃業に伴う取り壊し、水不足など。奈良のプールでは、水不足を理由に今年はオープンしていないとか。南港の遊泳場も同様の理由だと考えられていた。しかし、どうも理由が違うみたいで、ホームページを見てみると、老巧化が理由らしい。
確かに、年中潮風が吹く場所だから、施設も老巧化しやすい。
大阪の南港とは埋立地で、現在は公団を中心とした住宅が多くある。1960年代の前半から、大阪では千里ニュータウンの開発に重点が置かれたが、1970年の大阪万博をピークに、「山側」の開発は一段落し、海の方へ伸びていった。1970年代中ごろから、こうした埋立地の開発が盛んになり、1980年代前半には一つの街を形成した。
家にあった、南港の整備計画概要のパンフレット。そこに描かれた挿絵が子供の目に素晴らしくみえた。
きちんと整備されたその街には夢があって、運転手の要らない交通システムの「ニュートラム」に乗ってみたく、父にせがんで、南港まで行ったことがある。
大阪万博の残光は、少なくとも1980年代まで残っていたのかもしれない。
もうその残光は、ない。