ROOM 402

日々多くを思うものですがその思いはすぐにきえて忘れてしまうものです。忘れられない想いや日々の出来事を書き綴ります。

ヨーロッパ中世と日本の夏

2007年08月12日 | WEBLOG

今年の夏は戦争関連の本とヨーロッパ中世の本を多く読んでいる。
戦争の本といってもアレキサンダーの東征、大東亜戦争、ベトナム戦争、
百年戦争、日清戦争、日露戦争、南北戦争、フランス革命、スペイン戦争、
阿片戦争、関が原の戦い、源平の戦いと何の脈絡もなくタダひたすら人類の戦いの
歴史を勉強しているのだがこれが面白くて止められない。
もう一方のヨーロッパ中世の世界の話だが、これまたブッ飛んでいて
現代人の私からすると口があんぐりする話ばかりでこれもまた面白くて止まらない。
天使や魔女が「実在」していたヨーロッパ中世やルネッサンス時代には、
信じがたい事件や奇妙な学問が乱舞していたそうだ。
美少年の天使が歩行不能の人の足を治したり、豚が殺人罪で絞首刑になったりする。
しかし、事件そのものも奇妙なものだが、それを説明する当時の学者たちの考えは
さらに奇妙であることがわかる。
それらの奇妙さを、中世のバカバカしい迷信として笑うことは簡単だ。
だが、中世の奇想を知りつつもすっかり近代化したはずの私たちが
実は中世からの奇想から自由ではないことを知り愕然とした。
天使も悪魔も魔女も中世の人々にとっては奇想ではなく現実だった。
奇想とか現実は、時代の枠組みによって決められる。
だから、今の人々が中性を眺めるように、別な時代から今を見れば、
私たちが現実とか真理とか思っているものも奇想かもしれないのである。
中世の学者は、針の上で天使が何人踊れるかについてまじめに論議していた。
もしかしたら、今日の学者や評論家が論議している経済学も脳科学も
インターネットも今風の魔術であり錬金術というだけのことかもしれない。

ギャグのようだが中世では動物でも裁判にかけていたそうだ。
例えば、犬にかまれた時、その犬を裁判にかけて罪を問えるだろうか。
モチロン、今だったらあり得ない。
しかし、そこで「裁判」とはなにかをあらためて考えさせられてしまう。
豚の裁判を、犬の裁判を現代の人は本当に笑ってみていられることが
できるのだろうか。
私たちはすっかりと近代化し中世などはるかな過去のものと考えている。
だが、本当にそうなのだろうか。
現代でも「魔女狩り」はおこなわれているのではないだろうか。
テレビのワイドショーでおこなわれている一連の出来事は「魔女狩り」
以外の何物でもないとおもうのだが。
更に言えば人間自体が過去から「魔女狩り」を好む性質の生き物なのでは
あるまいか。
中世の本を読んでいると中世での迷信や奇想は、実は現代に暮らす
我々の鏡になっていることがわかる。

それにしても今年の夏は暑い。
去年の日記を見返してみても今年ほどは暑くなかったようだ。
まだまだ今年の暑さは続くようなので涼しいところで
読書三昧が避暑には最適かと考える。