ROOM 402

日々多くを思うものですがその思いはすぐにきえて忘れてしまうものです。忘れられない想いや日々の出来事を書き綴ります。

枝豆

2007年06月29日 | WEBLOG

このところ時間の過ぎ去るのが早過ぎる。先週、今週と矢のように過ぎていく。気がつけば今年も後半年で終わる。毎日、密度の濃い日々だからなのだろうか。いや日々無為に過ごしたとしてもこの年齢にもなると時間の経過を早く感じるのだろう。

読みたい本はたくさんあるし観たいDVDも溜まっているがなかなか読もう、観ようという気にならない(昔は徹夜してでもよく映画を観たものだった)。まぁ、そういう時は気の向くまま好き勝手にすればいいのだが、近頃はもっぱら夏野菜にハマっている。料理は素材だというがまさしくそうなんだなと実感する昨今である。その時その時の旬なものを余計なモノをあまり加えずシンプルに頂くのが一番美味しいものである。ヴィネガーの配分(ドレッシング用)や塩の加減一つで味も素っ気もないものがとても美味しくいただけるのだから料理は魔法である。鹿児島から取り寄せている自然栽培の芋で特別に作られた焼酎その名も「自然栽培」と枝豆だけで昨日も時間が矢のように過ぎていった。

小泉さん

2007年06月25日 | WEBLOG

バブル崩壊後の日本経済の低迷は本当に長かった。昨今景気がいいという話を聞くことが多いがその日本経済がどこまで元に戻ったのだろうか。それよりこの低迷期間に起きた経済の枠組みの変化を我々は完全に理解しているのだろうか。
IT革命の浸透や新興国の台頭などで国際的な競争の構図は大きく変化している。以前はアメリカでもヨーロッパでも日本製の電化製品が席巻していたが今ではかなりの製品がメード・イン・コリアに取って代わっている。ヨーロッパやアメリカの空港にあるテレビモニターもアメリカのウォールマートでの陳列商品も電化製品の主役はメード・イン・コリアに様変わりした。いまだに日本の製品が世界で突っ走っているなどと思っていると足元をすくわれる。企業の生産や調達体制も世界全域に拡大・変化している。アメリカはITの技術革新をテコに生産性を高め、イギリスはオープンな経済をつくることで長期の景気回復を実現させている。アジア各国はもはや日本などは手本にせず最新のITや経済を学ぶためにアメリカに行く。これら環境変化は日本でも企業や雇用、政府のあり方に大きな影響を与えている。かつての日本型システムと呼ばれた企業・銀行間の長期的取引慣行を支えた前提は明確に崩れた。労働力増加を前提とした高度成長期に形成された戦後システムは根底からの転換を迫られている。本当の意味での安部内閣の使命はこれら大きな構造変化の中でどうやって新たな成長システムをつくるかにある。まさに「戦後レジームからの脱却」である。
日本ではこの戦後体勢からの脱却は本当に遅れた。実際のところは小泉内閣のもとで初めてこれら改革が始まったのではなかろうか。郵政民営化、自民党解体などのこれらの転換を小泉内閣によって過去の「良きシステム」が崩れたととらまえるアホが多いがそれでは認識を誤る。今後、日本人が生き残っていくためにはどれほど困難でも、最新の環境に対応した枠組みに日本人も日本経済も移行するしか生き残る術はなく、もはや過去のシステムに戻ることはできない。なんかパソコンの世界や進化論の世界に似ている。私は別に安部内閣を賞賛しているわけではないが他に適任者がいないのも事実である。ならば極論としては総理総裁など誰でもいいわけで、とにかく一歩でも二歩でもいいから少しでも早く我々が過ごしやすく暮らしやすい世の中になればいいだけの話しなのだ。現時点ではまだまだ認める人は少ないと思うのだが、別視点から見れば小泉さんほど歴代の首相の中でもトップクラスの実行力のあった人間はいあないのではあるまいか。モチロン彼一人の力だけではないがあの腐れきった自民党を内部から半崩壊にまでもっていった事実は大きい。

自身は何もせずあーだ、こーだという輩が多いが世間話のうちならそれも許されよう。世の中や社会に対して少なからず責任ある立場にある者はあーだこーだ言うのもいいが自分のためばかりでなく、少しは世間のためになることをしたほうがいい。とまたまた偉そうなことを言っております。スイマセン。

中国

2007年06月22日 | WEBLOG

東京では梅雨入り宣言してから天気のいい日が続く。さすがの気象庁も今年の梅雨入り宣言は誤りだったのを認めたようだ。実際は今日あたりが梅雨入りなのであろう。そして昨日、テレビで中国産のピーマンから基準値をはるかに超える農薬が検出されたといっていた。この報道の恐ろしいところは、それじゃあ他の農薬が検出されていない中国野菜でも実際はかなり危険なんだよと国民に教えていることである。食べてすぐにどうのというわけではないが、今後長期間摂取すると身体に残留している農薬がやがて水俣病などのような症状をださないとも限らないということである。悲しいかな日本人が管理して日本人による農法で作られてる中国野菜でも疑わしいのが実情である。なぜなら中国では農土もかなり汚染されていい土がないらしいのである。過日、中国産のカップ麺で死亡者がでたらしいがそのカップ麺も廃油で作られたらしいので、昨夜の北海道の偽装牛肉コロッケなど可愛く聞こえてしまう。前回のブログでもふれたが中国という国は本当に警戒したほうがいい。歴史が如実に彼らの真の姿をあらわしている。得体が知れず不気味な仮面の奥には冷酷で残忍で狡猾な顔がある。うかうかしていると国を乗っ取られるどころか国民、皆殺しさえもやりかねない悪徳国家が中国だ。悪いことは言わない、どんなに安さにつられても中国野菜も中国製品も買わない賢明さが必要だ。


好きなだけ鳥のから揚げ

2007年06月20日 | EAT

少しでも身体を快適な状態に保つには運動もさることながら食事に気をつけることも大切なことである。少なくとも私の場合は食事を気にしてからのダイエットで加速度的に体重が減少し大いに喜んだものである。さらに食事に気をつけてからというもの身体のカユミやオデキといった類のものがまったくなくなった。いつでもお肌スベスベの絶好調である。これは毎日大量に飲んでいる水が大きく影響していると思われるのだが(食事以上に水は大切だ。わが家で飲む水は魔法の水である。この水を毎日ガブガブ飲んでるとホントに調子イイ)これは日々とても快適である。今や俗に言う平均体重以下にもなり身体がとても軽く感じる。ジーン・ケリーやアステアがいい年になっても軽いステップを踏んでいたのがわかる気がするダイエット親父である。

食事に気をつけるとはどういうことか。それは第一に食べ過ぎないことである。欲張り親父の私はついつい食べ過ぎてしまう。とくに好物のものとなるとガンガン食べてしまう。寿司、焼き鳥の類などがそうだ。お酒もそうかもしれない。ご飯のおかわりもそうだ。この年にもなると食べ過ぎを注意してくれるのは家内ぐらいのもので、実質的には注意するものなど誰一人いないので食べてしまうのだ。そして満腹になった時にふと思うのである。「やっちまった!」と、でも後悔はそんなにないのである。それほど満腹状態というのが気持ちがいいのである。
足るを知るというのはたいへんなことである。この満腹の快感状態から脱するのにどれほどの苦労が強いられたことか。近頃はようやく自分自身コントロールできたかなと思っているのだが、昨夜のように好物の鳥のから揚げが出てくるとまだまだコントロールできない自分がいたので悲しいのである。それほど、これら鳥のから揚げ、コロッケ、とんかつ、メンチカツなどのフライものはパクパク食べてしまっていかんのである。これらの対処法はただ一つ、フライものに近づかないことである。つまりフライモノを食べるのを月に一回とかふた月に一回にすればいいのである。私はそうして食べ過ぎてしまう自分にブレーキをかけたのであった。

次に留意すべきは食事の中身である。野菜、魚を多く取って肉類や乳製品、加工食品をほとんど摂らないことである。先に挙げたフライものや天ぷらなどは基本的にご法度である。焼肉やハンバーグも食べないほうがよろしい。野菜でも中国モノはほとんどが殺人野菜なのでどんなに安くても食べないほうが身の為であろう。話が少し横道にそれるが、中国野菜で使用している農薬はそのほとんどがヤバイモノだと聞く。彼らの多くは日本人が嫌いなので日本輸出用の野菜にとんでもない仕掛けがされていたとしても別段不思議ではない。中国とはそういう国であるから用心したほうがいい。確かに有機野菜や無農薬野菜は少しばかし値は張るが身体のことを考えれば安いものである。この年にもなれば他のコトでは多少ケチっても食べ物に関してはケチらないほうがいいと思うのである。そして確かに信頼できる農家の野菜はウマイ。トマトでもキャベツでもなんでもとにかくウマイのである。イヤイヤながら始めたダイエットや食の改善であったが意外なところから野菜好きにもなってしまったのである。美味しいものを適量に食べていれば人はいつまでも健康なのである。
そして魚がこれまた美味しいのである。私は子供の頃から魚があまり好きではなかったのだが、ダイエットを始めた頃から実のところ肉があまりたべられなくなってきたのであった。と言うより肉類に食欲が湧かなくなってきたと言った方が正しいかもしれない。多分に年齢的なものがあり周囲の友人たちも40歳を境に肉類が食べたくなくなってきたと言う話はよく聞くものである。というわけで魚に移行したのである。とくに干物が私の好物である。干物も種類は数々あれど私はポピュラーなアジの干物、サンマの干物なんていうのがウマイっすねぇ。本当はこれと野菜とお味噌汁とご飯一杯で十分なんです。こういう食事を毎日していれば自然に身体は元のあるべきサイズに戻るというものなのである。私はこれらを実践しております。細かく言うと調味料や醤油などにも注意が必要なのですが、食べすぎと食事の中身を気をつけるだけで全く人間変わります。そしてたまーに好きなものを好きなだけ食べて爆発させるとよろしいと考えるのであります。


公安

2007年06月16日 | WEBLOG
元公安のトップだった人間が敵国の手先となって銭稼ぎ、日弁連の元トップが朝鮮総連の顧問弁護士になって銭稼ぎ。これは悪夢を通り越して新手のギャグだろうかとも考えたのだが、現実にはこれが日本の法曹・司法のトップの真の姿なのだから恐れ入った。周囲の人間もこれらを知っていて誰も口を差し挟まない。
下っ端公務員も外務省のキャリアも全国の警察官もせっせと税金を盗み、裏金をつくって自分たちの飲み食いや小遣いにするのは当たり前。政府高官やキャリアはそのカネが足りなくなると国民からむしりとるのだが、これまた国民の誰一人文句を言うことはない。野党と称する者、テレビの良識派コメンテーターと称する者が一応ブーブーと文句を言ってるように見えるのだが、あれは国民をだまくらかす一種のパフォーマンスのようなものである。半年も経たないうちに文句を言っていた人間と言われていた人間が銀座で一緒に飲んでいるのはよくある話である。
今回の事件や社会保険庁問題、警察の裏金問題、高級官僚の天下りなどに比べたら民間のコムスン問題なんてカワイイものである。あー、ここまで書いてみてなんだか無性に腹が立ってきてバカらしくなってきた。今日は吉祥寺に飲みに行こ!

故郷

2007年06月15日 | WEBLOG
また仲の良い若い友人が東京を去ることになった。昨夜、彼の送別会を友人5人でしめやかに行った。彼は現在39歳、私より少し年下になるが東京に出てきて丁度20年が経つという。東京で学生生活を送り社会人になり恋人もでき、そして別れ現在は一人身であるという。長年勤めた会社から業績不振を理由に一年ほど前から退社を勧められていたのだが、ようやくこのたび決心がついたというのだ。会社を退社しこのまま東京に残ろうかとも考えたらしいのだが心機一転、もう一度故郷に帰り自分を見つめなおした上で再起を図るのだそうだ。

この東京にはこの年若い私の友人のような人が大勢いると思う。それぞれに夢や大志や希望を抱いて憧れの大都市東京にやってくる。やってくる理由は進学なり就職なりいろいろあるだろう。やがてブチあたる人生における様々な障壁。一つ目をのり越え二つ目ものり越え三つ目ものり越える。それでもなんとかかんとか言いながら歯を食いしばって毎日頑張って生きていくのだが、ふと気がついたときには精も根も尽き果てて疲れきってしまっている。思い出すのは子供の頃の何の悩みもなく朝から晩まで遊びまくっていた故郷の景色。「あー、家に帰りたいなぁー」などと思うのではなかろうか。そんな時、故郷の情景はとても懐かしく優しく思えるものだ。でも、どの顔下げて実家などに帰ることができようか。40歳近くになって結婚もせず、仕事もなくなり、今はそんな自分が恥ずかしい。親に会わせる顔がない。などと思っているのではなかろうか。私はそんな気持ちがとてもよくわかる。目下、正業に就いている人だって一寸先は闇なのである。いつ何時クビになるかもしれないのだ。それは自分の失敗によるものかも知れないし、理不尽な理由かもしれない。会社の業績不振からの解雇通告かもしれないし病気によるものかもしれない。何れにせよ誰にでも起こりうることなのだから、何も恥ずべきことなど何もないのだけど、どうしても本人は気にしてしまうのが常なのである。私は以前その友人から相談を受けた際にこう言ったのである。「是非とも早く実家に帰りなさい。親御さんが元気なうちに一度でも二度でもいいから早く帰ってあげなさい。そしてお前の元気な顔をみせてあげるんです。やり直すのはそれから後でも全然遅くなんてないんですから。無理して意地張って東京で頑張っても大切な機会を失うだけですよ。」そんなことを話した覚えがあります。私は数年前に最愛の母親を亡くしたので友人にも親孝行の機会を逸してほしくないと思ったからです。私も人の親になったのでやっとわかるのですが、親というものは出来不出来に関係なく皆それぞれ我が子はいくつになっても愛しいものです。たとえどんなことがあろうとも無条件で受け入れてくれるはずです。帰るところのある人は気がついた時に一度ならず早く帰ったほうがいいかもしれません。意外なことに気がつくかもしれませんしね。

そんな時、私はそれでも帰れる場所のある人はいいなぁと思います。私の場合、故郷というものがないので帰るところがないからです。つまり「出口なし」というところでしょうか。「逃げ場」がないのです。だから私の生き方は昔も今も攻めて攻めての攻撃型なのかもしれません。私の人生ゲームは今までずっと一人で攻めて攻めてでやってきました。ところが気がついたらいつの間にか家族もでき、住むところも確保していたのです。もしかしたらこれでようやく「逃げ場」ができたのでしょうか。まだまだ少なくともあと15年は攻め続けないといけない気はしているのですが・・・。


バラードとイーガン

2007年06月14日 | BOOKS

グレッグ・イーガンの「一人っこ」とJ・G・バラードの「コカイン・ナイト」を相前後して読了。2冊とも深く感銘を受ける。現在のイギリスにおいてイーガン、バラード共に最高の作家であることは疑いようのないことだと実感する。とくにバラードは私の好みの作家、なぜこの97年作の小説をもっと早く読まなかったのかととても後悔する。もっと早くに読んでいれば同時多発テロやイラク進攻も解読できたのにと考えた。それにしても両者の未来を見通す力は凄すぎる。もはや世界中のいたるところで神はすでに死んだのかもしれないが、両者の頭脳の構造を考えるとそこに神が内在しているような気さえしてくる。

視点

2007年06月10日 | CAMERA
気がついたら一週間もブログをほったらかしにしていたのである。それほど先週は雑事と仕事と宴会に追われて忙しかったのだ。なぜか私の友人は6月、7月、8月生まれの友人が多い。いい年をしていまだに飲み屋でお誕生会をやるのであるから平和な日々である。
気がつくと私の友人は全員デジカメを常用している。高級機種から廉価機種までみんないろいろな機種を持っているが細かなことさえ言わなければどれも使いやすそうだ。カメラについていちいちウルサク言う人が多いが私は嫌いである。今のデジカメはどれもよく写る。ハッキリいってよほど気にしなければ銀塩写真と見分けがつかない。それでも銀塩写真の優位性、デジカメの優位性を延々と話す人がいるが哀れな人だ。私にとってカメラは視点であり腕である。
人は色々な視点でモノを見る。毎日を快適に過ごしている人の視点と世の中を恨めしく思っている人の視点は全然違う。同様に一日一日を切実に過ごしている人と日々を無為に過ごしている人の視点も自ずと違うであろう。要は自身がどういう視点で世の中を見ているか、どういう風に世界が見えているかがポイントなのだと思う。あとは撮影者はどんなカメラであれ静かにシャッターを押すだけでいい。写りが失敗していようがキレイに撮れていようがそんなことはお構いナシである。撮影のテクニックなんてものは枚数を撮るごとに自然と上手になるものなのである。なんといってもポイントは視点なのである。その先にはカラーでもモノクロ写真でも色、構図、形なーんてのを意識して撮ると素敵な写真が撮れるのだが、まずはバシャバシャ撮影しまくるのが先決。デジカメならばフィルム写真と違って何枚撮ろうがタダなんだからたくさん撮ったほうが必ず上達するというものである。なーんて偉そうなことを言って私の写真を見てみると恥ずかしくてこの先写真を載せるのをやめたくなってしまうが私自身も勉強中なのでご勘弁あれ。

多趣味の弊害

2007年06月04日 | WEBLOG

熱しやすく冷めやすいとは昔から悪癖といわれているが本当にそうなのだろうか。我ながら多趣味というか、何にでもすぐに興味をおぼえ、すぐに習熟したくなり道を究めようと思ったものは今までに数知れないくらいある。最近のウクレレを始め楽器編だけでもエレキギター、アコースティツクギター、ドラム、パーカッション、ピアノなどがあり、語学では英語、イタリア語、スペイン語、フランス語、ドイツ語、ハワイ語などを勉強した。その他彫刻、絵画、写真(作品)、カメラ(機材)、オーディオ、建築、インテリア、車、バイク、自転車、料理、アウトドア、マラソンと好き勝手やり放題である。更に音楽、読書のジャンルも多岐にわたり音楽では専門のヨーロッパ音楽を習得する以前はロック、ブラック、ジャズ、クラシック、ダンス、ワールドのほとんどのジャンルの音楽をなんでも聞きまくった。読書の趣味も同様である。スポーツでもいろいろあるのである。ほかにも敢えてここでは書かないがまだまだハマっているものがありそうだ。そうだ!私は昔から文房具も大好きなのだ。特にノートとペンには目がないのである。文具店に行くたびに気分でノートをたくさん買ってしまうのである。そしてここからが本題である。本当に熱しやすく冷めやすいということは悪癖なのだろうか。今や私はそうは思わないのである。むしろ熱しやすく冷めやすいほうがいいのである。なぜなら私の場合、さきに紹介した数多くの趣味のほとんどが、熱中度の差こそあれいまだに継続中なのである。つまり私の趣味に関しては今のところ終わりがないのだ。

これは大変である。程度の差こそあれいまだに、さきの全てに興味があるのだから情報の収集だけでもヘロヘロである。本屋さんでは数多くの雑誌から専門誌までゆっくり見て回るので何時間でも過ごすことができるのである。ちなみに私は週に一度はお気に入りの大型書店でゆっくり5時間は過ごすだろうか(ハッキリいってアホ)。このように多くの趣味や興味あることが同時並行でいくつもあると「もう勘弁してくれ」ということで、いくつかに絞るのが普通であろうが私の場合、根っからの貧乏根性で今まで継続してきたものをポイと捨てきれないのである。さらに世の中には興味あることは尽きないのでこのように趣味の数がドンドン増えていってしまうのである。
しかし、敢えて大変といったが実のところやってる本人(私自身)は毎日が楽しくてしょうがないのがほんとうのところ。趣味が多いというのは一見とりとめがないようでいてそうではないのである。世の中全てどこかでなにかが通底しているように私の一見とりとめのない多趣味ライフも本人の中では不思議と通底しているのである。まぁこれは本人しかわからないことだが・・・。

というわけで自転車もいまだに興味もあり研究していますよ。お金だけが無いのですが、臨時収入があればいつでも購入できるよう最新のマシンやスペックだけは「サイクルスポーツ」や「自転車人」などの雑誌や新宿・阿佐ヶ谷・御徒町のお店で日夜研究欠かしておりません。もっとも日々のお散歩チャリとしては現在所有のトレックのクロスバイクで十分なんですけどね。
とまぁこのように熱しやすく冷めにくいというより熱しても冷めないという私の趣味に対するあり方、これはいかがなものかと思っているのであります。それならいっそのこと熱しやすく冷めやすいほうが怪我の傷も浅かったろうにと今になって思うのであります。もう手遅れですが・・・。

クリス・カマカさん来日

2007年06月03日 | UKULELE
ウクレレの話題が続く。俗にウクレレの世界ではカマカに始まりカマカに終わるといわれている。カマカとは社名で名実共に目下ハワイ最大のウクレレメーカーである。歴史といいカマカメイドの製品を使用しているミュージシャンといいとにかく凄いのである。そのカマカ社三代目の社長さん、クリス・カマカ氏とその弟のケーシー・カマカ氏が来日し記念イヴェントが開かれたので行ってきた。

場所は渋谷のアコースティックデザイン。チャリで20分なのでうららかな初夏の日差しを浴びながら渋谷の雑踏をくぐりぬけ目的地に到着したのがイヴェント開催5分前、すでにもう満員である。こんなにもカマカファンがいたのかと驚くウクレレ親父であったが、いつも親切な店員さんの配慮で座らせていただいた。ここの店員さんは店長以下ほんとうに気持ちのいい方が多い。客商売というのはこうでなくてはという見本である。
ほどなくしてクリニックの始まりである。カマカ社の歴史や沿革、昨今のウクレレ事情をひとしきり説明した後は、日本人のウクレレプレーヤー、IWAOさんの登場である。数曲披露していただいたが、いやー、上手いの何の、驚愕である。ウクレレ親父とのあまりの実力の差に落胆する想いだったが、コードやストラミングなど大いに参考になり満足であった。三代目社長のクリス・カマカ氏もハワイ本土ではミュージシャンとして活躍するほどの腕前の持ち主だそうだ。優しくもほのぼのとした味わいのある演奏でこれまた大いに楽しませていただいた。特にラストにIWAOさんと即興で演奏するのだが、その際ハワイから同行されたカマカ氏のお嬢さん(多分10歳くらい)のフラダンスがあまりにも美しいので魅了されてしまった。影響されやすいウクレレ親父は明日からでもウチの娘にもフラを習わせようと思ったほどである。

アッという間の2時間であった。楽しいときというのは時間の経過が早く感じるものである。いつの日か必ずカマカのウクレレも弾いてみようと決意するウクレレ親父であった。写真は左が三代目クリス・カマカ社長、右がウクレレプレイヤーのIWAO氏。